障害学会HOME

障害学会第13回大会(2016年度)報告要旨


ここをクリックするとひらがなのルビがつきます。
ルビは自動的にふられるため、人名等に一部変換ミスが生じることがあります。あらかじめご了承ください。


品田 彩子(しなだ あやこ)聖徳大学 児童学部

■報告題目

1970年代知的障害者の支援組織の活動の展開―日加比較

■報告キーワード

カナダ精神遅滞協会/全日本精神薄弱者育成会/1970年代

■報告要旨

1.はじめに

 本報告は、カナダと日本における知的障害者の支援組織が、1970年代にいかなる活動を展開したのかについて、就労分野に焦点を当てて比較検討し、以て日本の知的障害者の支援組織の特徴を捉えることを目的とする。
 カナダ精神遅滞協会(Canadian Association for the Mentally Retarded, 以下, CAMR)は、遅滞児の教育機会の拡大を求める保護者らが集結したことに端を発し、1958年にカナダ各州の遅滞児協会の連合体として結成された組織である。 全日本精神薄弱者育成会(以下,育成会)は、1952年、精神薄弱児の教育・福祉施策の拡充を目的として、全国の精神薄弱児の保護者を中心に結成された、各都道府県の地方育成会の連合体である。
 本研究は文献研究であり、主な資料として、CAMRが刊行していた機関誌と年次報告、育成会が刊行している機関誌を活用する。なお、本研究は歴史研究であり、用語は当時、当該国で用いられていた表現を使用することを原則とする。

2.1970年代におけるカナダ精神遅滞協会の活動の展開

 カナダでは、1960年代を通じて、精神遅滞者の地域生活を支えるためのサービスの数が飛躍的に伸びたが、その分布は不均衡であり、また、数・質共に未だ不十分であった。こうした状況を踏まえ、CAMRは、1970年代にノーマライゼーション理念を組織に導入し、地域サービスを包括的に発展させるためのプロジェクトを展開した(AR, 1972)。アルバータ州の精神遅滞協会の取り組みを例にとると、同協会は州政府の一部権限の付与を受け、民間組織が運営する複数の職業訓練センターについて、資源の再分配等のコーディネートを行なった。また、コミュニティ・カレッジにおいて、職業訓練プログラムが効果的に実施されるようコーディネートした。実は同協会自身も、精神遅滞者に対して職業訓練を実施していたのであるが、サービスを直接提供していると、その利益の保全に固執してしまい、地域における精神遅滞者全体の利益が疎かになってしまうことを省察し、このため、協会が運営していたサービスをその他民間組織等に移管して、自らは地域の組織間の調整役に転じたのであった(NIMR, 1982)。
 しかし、プロジェクトが専門家主導で行われたことや、組織がサービスの直接提供をしなくなることを背景に、元来組織の主役であったはずの、精神遅滞者の保護者の組織離れが危惧されるようになる。そこでCAMRは組織の再結束を図るために、1970年代にさらに保護者間のピアカウンセリングの事業等を導入した(CAMR, 1979)。

3.1970年代における全日本精神薄弱者育成会の活動の展開とその特徴

 日本においても、高度経済成長を背景に、1960年代に精神薄弱者の施設数は急速に増えたが、授産施設の数は不十分であった。また、各施設・各機関の協力関係が築かれていなかったために、支援の質には問題があった(育成会, 1971; 1976)。
 育成会は、各地域で小規模授産施設を細々と運営していたが、これが1977年に、精神薄弱者通所援護事業という枠組みで国から助成を得られるようになる(育成会, 1977)。同事業の取り組みについて熊本県荒尾市の育成会を例にとると、当時養護学校高等部が整備されていなかったことを背景に、育成会は、授産施設を後期中等教育の一環として、市の教育委員会、保健所栄養士、体育協会、ボランティアグループ等と連携し、作業訓練のみならず、体育会、水泳教室、料理教室等を行なっていた(育成会, 1978)。
 このような有機的な連携が実現した背景には、育成会が「地域ぐるみのあたたかい協力」によって精神薄弱者を支えることを運営理念の一つにしていたことが挙げられる(育成会[1971]94)。精神薄弱児の親の気持ちに通じて、一緒に活動しようというは皆、手をつなぐ親であるとし、様々な場面でその子がどうしているだろうと気にかかるような仲になっているかどうかが、会の運営において最重要であり、何らかの理念、事業欲は不要ということが、機関誌に記述されている(育成会, 1977)。
 1970年代、カナダにおいては民間主導でサービスが展開されていたために、精神遅滞者の支援組織には、準行政機関として、地域の不均衡なサービスの発展をコーディネートする役割が求められた。一方、日本の支援組織は、福祉施策について行政が積極的な役割を担っていたことから、そうした役割を担うことはなかった。しかし、現場においては機関連携が課題であったため、育成会は施設運営の中で、地域と連携を図ることを通して、精神薄弱者のニードを満たす努力をしていた。そうした連携は、カナダのようにプロジェクトの一環として行なったり、ノーマライゼーション理念に基づき展開されたりしたのではなく、互いを気にかける関係づくりを大切にしながら構築されていった。このため、CAMRにおいて導入された保護者同士の結びつきを強化するための事業は、育成会においては特段必要とされなかったと考えられる。

文献 Annual Report(AR), CAMR, 1972.ほか当日配布



>TOP


障害学会第13回大会(2016年度)