川島 聡
 

障害学会第11回大会(2014年度)

障害学会第11回大会(2014年度)発表要旨


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川島 聡(かわしま さとし)

■報告題目

障害者権利条約と障害のモデル

■報告キーワード

社会モデル,統合モデル,障害者権利条約

■報告要旨

 障害者権利条約(以下,権利条約)が米国社会モデル(以下,社会モデル)を採用していると論じた拙稿に対して,佐藤久夫氏が意義深い貴重なコメント論文を寄せて下さった(川越他『障害学のリハビリテーション』生活書院,2013年)。本発表で,私はこの論文の一部を検討することで,障害のモデルに関する分析を深め,権利条約が社会モデルを採用している,との論拠を補強する。本発表は,社会モデルの概念と障害者権利条約に定める障害の概念とを解明する研究の一環として位置づけられる。

 私見では,社会モデルの形式面は,機能障害と社会的障壁にひとしく問題があるとする相対的な視点である。これは,国際生活機能分類(ICF)の統合モデルに相当する。社会モデルの実質面は,社会的障壁の問題性を特に強調する視点である。形式面よりも実質面のほうが重要であることを,米国障害差別禁止法(ADA)の障害者の定義を素材に以下で指摘する。

 ADAの保護を受ける対象者は,機能障害と「一定の生活制限」の2要件を満たさなければならない。ある人の「一定の生活制限」は,社会的障壁の除去(緩和手段の提供)によって解消されることもある。それ自体は好ましい。だが,その人は,たとえ機能障害を持ち,差別を受けたとしても,「一定の生活制限」の要件を満たさないので,ADAの保護を受けられなくなる。これが改正前のADAで大きな問題となった。

 この問題は,社会的障壁の除去(緩和手段の提供)によって,ある不利益X(一定の生活制限)が改善されると同時に,別の不利益Y(ADAの保護対象者からの除外)が生じていることを意味する。この場合,不利益Yの原因となっている社会的障壁(法的定義の狭さ)を強調する視点(社会モデルの実質面)にまた立つことで,新しい洞察・知見(法的定義を拡張すべきとの知見)が得られる。すなわち,社会的障壁の問題性を強調する視点に立ち続けることが,有益な洞察・知見を発見するためには必要なのである。このようにモデルを発見道具として捉えると,特に権利条約の文脈で国家の義務に関する有益な知見を得るためには,社会モデルの形式面(統合モデル)よりも社会モデルの実質面のほうが重要となる。

 以上の私見に対し,(1)佐藤氏は,医学モデル優勢の歴史の中で障壁除去が不当に軽視されていること等を理由に,「参加障害の解決のために『障壁除去』をより強調すべきであることについては川島氏の意見に異論はない」と述べる。もっとも権利条約の文脈では,一転して,(2)佐藤氏は,「ICFの方が,あらかじめ社会障壁に比重を置いていると川島氏が評価する「米国型社会モデル」よりも柔軟で有効であろう。ICFのこうした現実に即した柔軟性やいろいろな立場の関係者がコミットできる中立性と総合性などは,大きな強みである」と言う。

 しかし(1)と(2)には矛盾があるように思われる。(1)の認識に立てば,権利条約の文脈でも(1)の認識に立つはずだが,佐藤氏は(2)の認識を示しているからである。だが,本発表では,この点よりも次のことを強調しておきたい。すなわち,権利条約の視点として統合モデルを支持する佐藤氏と,社会モデルを支持する私との根本的な相違は,権利条約の当事者性を基幹的なものとみるか否かの違いである,ということである。

 そもそも「モデル」(視点)の適切さは,例えばオペに向かう医師の視点(医学モデル),差別に向き合う当事者の視点(社会モデル)のように,文脈に応じて異なり得る。そして実のところ社会モデルとは,社会的障壁に直面し不利益を被り,かつ,自己の存在を肯定する,障害当事者(運動)の視点だと言える。それは,不利益の原因は自分ではなく社会にあるという視点である。この視点は,医学モデル優位のこの社会で非常に弱い。

 当事者の権利(権利条約)を実現する文脈では,当事者の視点(社会モデル)と主張(社会モデルを用いた知見・洞察)が死活的に重要となる。なぜなら,当事者の視点と主張を欠けば,「障害者の,障害者による,障害者のための条約」という権利条約の基幹的意義(当事者性)が没却されかねないからである。当事者の視点が,権利条約に常に命を吹き込む源泉であることは,権利条約の策定過程でのあの有名な標語(nothing about us without us)が端的に示していることでもある(権利条約4条3等も参照)。

 以上より,権利条約の採用した視点としては,統合モデルよりも社会モデルのほうに妥当性がある。もとより現実には,当事者の主張は,重要な公共的目的(他者の権利・安全の確保等)との比較考量を不可避的に要する。比較考量の結果,当事者の主張は採用されない場合もある。例えば「代行決定」の全廃を求める当事者の主張は,現時点では完全に採用され得ない。だが,このことは,当事者の視点が,権利条約の文脈で議論の出発点に据えられるべきであることを否定するものではない。



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