■6−2 アール・ブリュットの魅力、意義、そして課題 島先京一(成安造形大学) 2010年3月24日より約1年間、パリ市立アル・サン・ピエール美術館において、「Art Brut Japonais 日本のアール・ブリュット」という展覧会が開催されています。アル・サン・ピエール美術館と日本のボーダーレス・アートミュージアムNO−MA、および滋賀県社会福祉事業団の協力によって開催されたこの展覧会は、63名の日本のアール・ブリュット・アーティストの作品を紹介するもので、日仏両国において大きな注目を集めています。63名の出品アーティストの多くが、知的障がい者です。 しかしアール・ブリュットとは、知的障がい者による芸術表現を意味する言葉ではありません。フランス語で「生の芸術(きのげいじゅつ)」を意味しているこの概念は、その簡潔かつ魅惑的な言葉の響ゆえに、多くの異なる理解を許容する包括性をもってしまいました。アール・ブリュットのコレクションを所蔵し展示している、或いは売買していることを謳っている美術館やギャラリーは世界中に存在しますが、それらのコレクションの中には、素朴派に分類することが相応しいような絵画作品や、明らかに民族芸術であると考えられるような作品が含まれていることが少なくありません。そしてそれらのコレクションの内容は、アール・ブリュットという概念の命名者であり、また発見者でもあった、フランスの画家、ジャン・デュビュッフェ(1901−1985)がこの言葉にこめた思いからは、明らかに逸脱しているものもあります。 この言葉の原点は、ジャン・デュビュッフェによる収集活動と、その成果としてのコレクションにあります。彼は、美術の専門教育を受けずに、自らの内的な自発性と自己の喜びのためだけに密かに制作を行っている人びとの作品に、既存の芸術作品とは全く異なる芸術的な価値を見出し、1945年より積極的な収集活動を展開しました。このコレクションは紆余曲折の末、現在は、スイス、ローザンヌ市の「アール・ブリュット・コレクション」という名称の美術館となり、作品の保管、研究ならびに公開が行われています。 このような経緯を考えれば、私たちはジャン・デュビュッフェの活動や言説の中にアール・ブリュットの定義の起源を求めるべきでしょう。しかしデュビュッフェは、アール・ブリュットの概要については把握しながら、そのより精緻な定義については、共通項を見出しにくい項目の列挙という入り組んだエクリチュールを用いて説明をせざるを得ませんでした。1945年の言説を引用します。 無名の作者、躁うつ病患者による、ドゥローイング、ペインティング、そして全ての芸術作品。自発的な衝動から起こり、空想や、場合によっては精神錯乱によって鼓舞され、目録化される芸術の踏み固められた道とは全く無縁の作品。(1945) ここでは、作者の病理性と作品の自律性について述べられています。1959年の、より洗練された見解を引用します。 芸術的な訓練の欠如、社会的な適合への不能、認識や商業的な評価への全くの無関心、孤独で秘密の創造、凡庸な技術的資源、燃え上がる精神的な緊張、限りない発明性、高められた陶酔、完全な自由、そして表現の純粋性。(1959) この見解においてアール・ブリュットとは、作者が既成のいかなる価値概念にも拘束されておらず、作者の創造性が最大の自由を発揮した成果であることが述べられています。しかし、既成概念に毒されていない完全な自由とは、恐らくは平均者にとっては容易には到達できない境地でしょう。そのような境地は、精神のあり方が平均者とは変わってしまった人びと、即ち、精神的な疾病によって心的な状態が変わってしまった人びとや、知的な障がいとともに育ったために外的な世界との関り方が平均者とは異なる人びとのほうが、到達しやすいとも考えられます。デュビュッフェは、精神病患者や知的障がい者の作品を収集したのではなく、自由な自発性に基づく芸術作品を捜し求めたところ、その作者の多くが精神病患者や知的障がい者であったのです。 日本におけるアール・ブリュットの原点の一つは、日本の障がい児教育の先駆であった近江学園における取り組みに求めることができます。近江学園の指導者、糸賀一夫は、学園に学ぶ若者たちの多様な可能性を引き出すために、様ざまな分野のスペシャリストをボランティアとして招聘しましたが、その中に日本における前衛陶芸のパイオニアの一人、八木一夫がいました。八木は、それまで職業訓練の一環として行われていた、近江学園における作陶指導とは全く異なる方法論を導入しました。すなわち、実用的な陶器の制作を目的とするのではなく、学園生の自発的な創造への衝動を引き出すような、自由な作陶を目的とする指導法です。八木は、学園生たちの自発的な創造への意欲を何よりも重視し、多くの独創的な造形成果を引き出しましたが、彼の方法論は、単なる職業訓練や生活訓練に留まらない、障がい児教育の新しい可能性を後継者たちに残しました。後で紹介する、日本を代表するアール・ブリュット陶芸家の一人、澤田真一の作陶を指導した池谷正晴氏も、八木の薫陶を受けたコミュニティーに所属する教育者の一人でした。 アール・ブリュットの表現の多くは、既製の芸術表現に親しんでいる眼に対して、少なからぬ衝撃をもたらしてくれます。そしてその衝撃には、常に新しい時代を切り開こうとする前衛的な表現がもたらしてくれる衝撃に共通する性格が含まれているのと同時に、いかなる先鋭的な理論をもってしても包括することのできない、不思議な魅力も含まれているといえます。作品を見ていきましょう。 これは、ヘルムートというファースト・ネームのみが知られている、おそらくは自閉症と軽度の知的発達遅滞のある、ハンブルグ在住のアーティストの作品です。あまり大きくはない画面に、水泳の競技会の模様が描かれていますが、彼の形態把握は、すべてのスイマーの姿勢がまったく同じ形で捉えられているように、きわめて稚拙なものです。また遠近法も、奇妙な不正確さを見せます。ヘルムートの画面で何よりも驚かされるのは、観客も含めた画面内の登場人物すべてが、同一の密度で描かれている点にあります。把握し表現し得る視覚情報の全てを画面に再現しようとするその制作法は、平均者の想像力を凌駕する可能性を秘めいているように思われます。 これは本岡秀則という、比較的よく知られたアーティストの作品です。自閉症の本岡は大の電車オタクでもあり、作品も電車をテーマとしています。彼の描く画面は、大好きな電車の正面の顔をできる限り圧縮して詰め込むことで成立しています。しかしその圧縮においては、パンタグラフやエンブレムのような電車オタクである本岡にとって重要な意味を持つディテールは、決して省略されることはないのです。彼の作品においても私たちを圧倒するのは、その偏った正確さに対する執念といえましょう。 次に、人物を主に描きながら、その表現様式に謎めいた魅力を見出すことができるアーティストを見ていきましょう。 先ず、スイスに生まれ、高度の教育を受けながらも、分裂症をはじめとするいくつかの精神疾患のためその後半生を病棟で過ごした、アロイーズの作品です。彼女が描くのは、上流階層に所属していると思われる華やかな衣裳を身に纏った女性を中心としていますが、時折、男性も描かれます。アロイーズの描く人物は、みな青く瞳を持たないサングラスのような眼を持っています。そしてどの人物も上品に描かれていますが、何かしらの性的なメッセージが秘められているようにも思われます。 日本の小幡正雄による段ボールに描かれた、家族の肖像画にも、謎めいた性的なメッセージが感じられます。様ざまな理由により人生の後半を介護施設で暮らすことになった小幡は、現在は施設の軽作業に従事しながら、大半の時間を制作に当てているということです。アロイーズと小幡は、家族を持つことのなかった人生の後半において、男女の性的な結びつきから始まる、人と人の結びつきを描いているように思われます。小幡の作品には、稚拙でありながらも露骨な性器の表現が現れます。彼の表現は子どもの絵のような稚拙さを見せますが、しかし非常に丁寧に描かれている点において子どもの表現とは異なります。段ボールの質感を愛しむかのような彼の制作手法からは、表現に対するはっきりとした意志が感じられます。 謎の文字に憑りつかれてしまったアール・ブリュット・アーティストもいます。喜舎場盛也は、父親が持ち帰った航空管制記録用紙に、隙間なく漢字を埋め尽くしていきます。知的発達遅滞とともに暮らしている喜舎場にとってそれぞれの漢字は、意味をもたないと考えられます。おそらく彼は、漢字のもっている造形物としての魅力に彼なりの法則性を見出し、紙に埋め尽くす作業に没頭しているのでしょう。彼が見出したであろう法則性は、他者には全く想像もつかないもののようですが、しかし彼の漢字に対する執念は、平均者の凡庸な理解を超越しています。 重度の自閉症とともに暮らす戸來貴規は、不思議な日記を毎日書き綴っています。戸來が暮らす施設の職員も最初は戸來の描く不思議な文様について全く理解できなかったとのことですが、戸來とのコミュニケーションがスムーズに取れるようになってから、これは彼自身が生み出した記号文字による日記であることが分かったそうです。現在では戸來以外に二人の職員が彼の日記を読むことができるそうです。おそらく彼は、平均者には理解できないような論理によって、彼自身が王として君臨する記号の王国を築き上げたのでしょう。 アール・ブリュットの世界には、独自の物語世界を作り上げてしまったアーティストたちもいます。 シカゴの病院の清掃職員として地味な人生を送ったヘンリー・ダーガーは、実は人知れずひそかに、壮大な物語を絵と文字によって書き綴っていました。しかし、それらが明るみにでたのは、彼が亡くなった後のことでした。グランデリニア軍と戦うヴィヴィアン・ガールズの物語は、文字原稿にして1万5145ページ、物語に伴う画集が3冊という膨大なものでしたが、彼が何を目的としてこの創作活動に取り組んでいたのかは、明らかではありません。誰かに読ませたい、見せたいといった社会的な目的はなく、彼自身しか理解できない内的な必然性に従っていたというほかはないのでしょう。 鱸万里絵も、強烈なイメージを力強く表現するアーティストです。鱸の作品を見る人は、そのグロテスクさ、そしてエロティシズムに目を見張ることでしょう。鱸がこのような強烈な作品を作り始めたのは、ここ2,3年のことであり、彼女の作品世界について考えるためには、もう少し時間が必要かもしれません。 アール・ブリュット・アーティストの中には、形の根源を抽象するような力強い作風を見せるアーティストもいます。ダウン症による中度の知的発達遅滞とともに暮らす舛次崇の作品は、具体的なモチーフをテーマとしながら、そのモチーフの造形的な根本を、不器用ながらも力強いタッチで、画面に定着させます。舛次の作品は、知性や感性、そして身体性も含めた、一人の人間の存在全体が形というものに全面的に対峙することによって始めて得られる、根本的な表現の可能性について考えさせてくれます。 そして重度の自閉症とともに暮らす澤田真一の陶芸は、不思議な想像上の生き物に形を与えることによって、ユーモラスな作品世界を作り出しています。澤田の作陶における技術的な指導者である池谷正晴によれば、もともと手先が器用であった澤田は、粘土という素材と出あった時から、主体的に作陶に取り組み始めたそうです。言葉を殆ど獲得していない澤田にとって、手の感触の中で形を生み出していく陶芸という仕事は、自己の内面を外在化させるための最良の方法の一つであったのかもしれません。彼の産みだす不思議な生き物たちは、彼の創作の動機に一点の曇りもないことを表すかのように、無垢に存在しています。 アール・ブリュット・アーティスト、全員に共通しているのは、彼らが、誰かや何かのために制作をしているのではないという点でしょう。全員が自己の内面的な必然性のために、制作に取り組んでいます。外部社会からの評価を全く気にかけない彼らの表現は、良くも悪くも、独善的であるとも考えられます。しかしその独善性はあまりにも純度が高いが故に、見るものに爽快感すら与えてくれます。その爽快感の起源にあると思われるのは、彼らの表現が、普遍的な合理性を目指したモダニズムのパラダイムに揺さぶりをかけている点ではないでしょうか。アール・ブリュット・アーティストは、モダニズムが排除しようとしてきた、非合理性、非生産性、そして非効率性といったオルタナティヴな志向性に基づく表現を、飽くことなく、そして疲れることも知らずに、紡ぎだしていきます。アール・ブリュットは、人間存在の多様性について、美と驚き、そしてユーモアを通して、語りかけてくれるのです。 アール・ブリュットの中にオルタナティブな価値観への志向というポストモダニティーを見出すとき、私たちはそこに、障がい者の社会参加の一つのユニークな可能性を探ることができるのではないでしょうか。一般的な視点に基づいた障がい者の社会参加の促進活動においては、彼らの社会参加を阻害している要因をできるだけ取り除いていく方向、すなわち障がい者をできる限り平均者に近づけるベクトルを基準とすることが多いと考えられます。しかしアール・ブリュットの場合、障がい者の能力を平均者に近づけるようなプロセスは全く必要ではありません。否むしろ、先に紹介した近江学園における八木一夫の陶芸指導の例からも明らかなように、そのような指導の方向性は、ユニークなアール・ブリュット・アーティストが世の中に登場し、彼らの独自の表現が多くの人びとの美的な感性を刺激するためには、無益であるどころか有害でさえあります。 アール・ブリュットは、平均者の常識的な理解を超える感性の回路を身につけた特別な才能の持ち主による、芸術表現であるということもできましょう。彼らの特別な才能は、一般的な社会生活においては他者からの支援を必要とする要因として働いてしまいますが、芸術、特に現代美術の文脈においては、平均者の発想を凌駕する、まさに独創的な表現を実現する生産的な要素として働き得ます。しかし彼ら、特別な才能の持ち主が、自らの意志によって社会の表舞台に出てくることは殆どありません。潜在的な天才をどのようにして見出していくのかが、今後の課題であると考えられますが、そのためには、障がい学や障がい者福祉の専門家と、現代美術や芸術学の専門家が協力し合っていくことが重要であるように思われます。具体的には、大学等の専門の高等教育機関で現代美術について学んだ若者が、障がい者の生活や就労を支援するような組織に就職し、その組織の取り組みの中で、それまで埋もれていた才能や新たなる才能を発見していくことが望まれるのではないでしょうか。そしてその時、障がい学や障がい者福祉について学んだ、美術を愛好する若者では不十分であると敢えて申し上げたいのです。現代美術を理解するためには、もの作りの価値観に関する思考上の一大転換を経験することが重要になります。そしてこの一大転換を経験するためには、芸術作品という生活上の具体的な機能をもたない物体の制作に、青春の貴重な時間とエネルギーの大半をつぎ込むという、効率性や機能性を重要視するモダニズムの立場からは理解を超えた体験が必要なのです。 現代美術とは、既成概念の妥当性に常に疑いをもちながら新しい価値観を探求し、それを平面やオブジェ、あるいは空間といったメディアを活用しながら視覚化し対象化していく芸術営為であるということもできます。現代美術をこのように捉えた時に、そこに障がい学が目指してきた方向性と共通する性格を見出すことができるのではないでしょうか。アメリカの障がい学研究のパイオニアの一人、レナード・J.デイヴィスは、Normalcy正常という、一般的には普遍性を獲得している概念が、比較的新しく、しかも意図的に産出された概念であることを批判しながら、即ち一つの常識に対して揺さぶりをかけながら、新しい障がい者像の探求の必要性を主張しています。また、医療モデルから社会モデルへの移行、即ち、障がいとは個人の知的・身体的な能力欠損に起因するものではなく、平均者という多数者による少数者に対する社会的・文化的多数者による抑圧に基づいているという捉え方も、障がい学にかかわる人びとにとっては当然のものですが、しかしながら多くの一般の人びとに対しては、未だ挑戦的に響くのではないでしょうか。既成の概念に挑戦するものとしての現代美術と、その中でもユニークな位置を確立しつつあるアール・ブリュット、そして障がい学や障がい者福祉が新しい協働の方向を探るとき、支援する者とされる者という従来の枠組みとはまた異なる新しい共生の可能性が見えてくるのではないでしょうか。