■5−2 先天色覚異常当事者の言説にみる当事者の社会的位相とその運動の変遷 矢野喜正(千葉大学) 【1】はじめに 【1-1】用語について  本題に入る前に、本報告で用いる言葉について説明します。  「先天色覚異常者」と言った場合は、医学用語における語義通りの意味で、先天色覚異常の形質を発現している人を指します。先天色覚異常とは、2色覚(旧称:色盲)と異常3色覚(旧称:色弱)の総称です。  一方、発表題目にあります「先天色覚異常当事者」という言葉は、医学用語にある熟語ではありません。「先天色覚異常の当事者」という意味の成句で、先天色覚異常にまつわる諸問題の当事者を指します。したがいまして、先天色覚異常でない人々、たとえば先天色覚異常の遺伝的保因者なども含まれる可能性があるということです。  なお、先天色覚異常当事者の中には「異常」という表現を好まない人が多く、「色覚異常」という言葉が適切かどうかで見解は分かれます。しかし、日本医学会が規定する現行の医学用語であり、語義が明確で、科学的な客観性があります。躊躇はありますけれども、きょうは学問の場ですので、医学用語を使います。 【1-2】研究動機  本報告で扱いますのは、先天色覚異常をめぐる、当事者による言説の時代的変遷と、当事者の社会的位相についてです。先天色覚異常当事者の言説は、その発せられた時代によって、大きな振幅をもって揺れ動いてきた様子があります。それらを読解することによって、当事者のおかれてきた状況を確認し、当事者と社会とが今後どのように関係していくのかについて考察を試みたいと考えております。  過去、先天色覚異常が法制度上の「障害」に該当したことはありません。また、ほとんどの当事者たちは「色覚障害」と呼ばれることを許容しない傾向があります。しかし近年、いわゆるユニバーサルデザインと呼ばれる事業に積極的に関わろうとする先天色覚異常者が現れ、自身のインペアメントを誇張して語ることによって「障害」への包摂を期待する現象もみられています。先天色覚異常を取り巻く社会状況は、微妙な動きを見せていると言えるでしょう。  先天色覚異常者は全国に約290万人、遺伝的保因者は全国に約580万人と推定されています。多くの当事者が存在するにもかかわらず、なぜ、いままで先天色覚異常にまつわる問題は大きく扱われれてこなかったのか。またなぜ、いまになって急にマスメディアに取り上げられるようになったのか。そして今後、先天色覚異常をめぐる諸問題はどのような方向に向かうのか。あるいは、もし軌道修正が必要であるなら、当事者らはどのような方向を指向するべきなのか。私は、先天色覚異常というインペアメントと、その当事者の社会的位相を明らかにすることを試み、そして本報告が、現代の日本社会における「障害」ないし「障害者」を分析・読解するための素材の一部となることを希望するものです。 【2】医学的な定説  先天色覚異常をとりまく社会問題を冷静に捉えるためには、まず、先天色覚異常というインペアメントを正確に捉えておく必要があろうと思います。ここでは、社会問題に関連して問われることの多い事柄についてのみ、簡単に説明いたします。 【2-1】色覚とは  色覚とは、ある光が眼球に入り、その光によって網膜上の細胞に与えられた刺激が神経を通って脳に達し知覚されるまでの、一連の“しくみ”を総合したものです。言い換えれば、色彩を捉えるための生理的機能を構成する、構造的な機構を指した言葉だということです。  色覚の機構は、色感覚と色知覚に分けることができます。ところが、知覚の詳細にまで立ち入って色覚の生理構造を分析することは、まだ可能となっていません。人間が色彩を捉える“しくみ”は未知の領域を多く残した研究分野であり、色覚というものを安易に単純化して語ってはならないということを理解しておく必要があろうと思います。 【2-2】先天色覚異常とは  色覚異常は、先天色覚異常と後天色覚異常とに分けられます。先天色覚異常は遺伝的要因によって発現する形質です。日本における発現頻度には、男性4.50%、女性0.156%という信頼できる統計があります。このことから、先天色覚異常の遺伝的保因者は女性の9%程度と推定されています。  一般に、先天色覚異常者の視覚について問う時は、色覚以外の視機能、つまり視力や視野や眼球運動などにインペアメントを伴わないという前提をとります。そして、視機能のうち色覚のみについてインペアメントが認められる者は、普通に暮らす限りにおいては特に困難は生じないと考えられてきました。よって、これまで、先天色覚異常は「日常生活に支障がない」などと説明されてきました。  しかし、臨床経験に長けた眼科医の知見を参照しますと、まったく支障なく生活しているという2色覚者もいれば、非常に困難を感じているという異常3色覚者もいます。実際のところ、自身のインペアメントを客観的に理解できている先天色覚異常者がどの程度存在するのかは分かりません。これは、個人個人の生活実態や適応能力がまちまちであるためと考えられます。先天色覚異常者の支障や困難の度合いについて、安直な結論を求めてはならないということです。  なお、後天色覚異常の説明は別の機会に譲ります。先天色覚異常とは別のもので、医学的・生理学的には同様に扱うことができないということのみ述べておきます。 【2-3】先天色覚異常にまつわる社会問題は、なぜこれまで大きく取り沙汰されてこなかったのか  先天色覚異常にまつわる社会問題が近年になるまで大きく取り沙汰されてこなかった理由については、おもに、以下の4点が考えられます。  (1) 感覚器の比較的軽度な先天的インペアメントであるため、自覚を持ちにくく、周囲からの指摘も少ない。インペアメントが外見に現れないため、適度な慎重さをもって生活していれば周囲に気づかれることもない。  (2) 色彩の扱いについていくらか経験を積み、予測能力と慎重さが備わると、困難に直面する機会が減る。よって、状況への適応能力の高い者にとってはさして重大な問題ではなくなる。  (3) 過去、進学・就職・資格取得などの機会に際し、多くの欠格条項が設けられ、大きな不利を実感してきた。そのため、インペアメントを隠蔽し、不利を回避しようとした。結果、問題の存在そのものを隠蔽することに繋がった。  (4) 日本には、遺伝に対して潔癖すぎる感情的傾向がある。遺伝的保因者は、世間の誤解を受け、婚姻や出産などの機会を通して緊張を強いられ、精神的苦痛を実感してきた。そういった苦痛を緩和しようとする自然な感情が、問題意識の縮小へと繋がった。  この中で、とくに難しい問題が(4)であろうと、私は考えています。この問題は、先天色覚異常にまつわる社会問題を考察するにあたって、絶対に忘れてはならない視点であろうと思います。 【3】先天色覚異常にまつわる社会問題の歴史的変遷  日本における、先天色覚異常をめぐる社会問題は、時代によって、その様相を変化させてきました。以下、問題の歴史的変遷を大まかに追います。 【3-1】明治以降、十五年戦争中まで  19世紀後半、欧州各地で、乗務員の色覚異常が原因になったとされる列車事故や船舶事故が重なり、それを受けて、欧州各国で鉄道員・船員への色覚検査の実施が規定されていきました。日本もそれに倣い、1879年から鉄道員・船員を対象とした色覚検査が始められました。また、日露戦争後、旧陸軍は、現役将校に色覚異常者を採用しないと定め、旧海軍は、全階級において色覚異常者の採用制限を行いました。このようにして、近代日本においては、特定の職種の人材選定を目的として、色覚異常者の篩い分けが制度化されていきました。  これに対し、戦時中、当事者の要求が社会に対して向けられたことがありました。当時の国民感情としては、戦争で活躍できないということは国の役に立たないということとほぼ同義でしたから、欠格条項の存在によってアイデンティティの喪失を感じたであろうことが想像されます。 【3-2】十五年戦争以降の動き/1980年代:社会適応指向の芽生え  戦前から、効果のない「治療法」が幾度となく生み出されていましたが、戦後に入るとさらに活発化したようです。たとえば1960年代には、顔面皮膚への通電刺激によって色覚異常が「治る」、あるいは「改善する」とした高額な家庭用「治療装置」が売り出され、世に出回り、大問題となりました。また、同様の原理を用いた「クリニック」が各地に開設され、多くの当事者を巻き込む詐欺的行為が1990年代前半まで続いていました。現在も、「治療できる」と豪語する鍼灸院の存在がわずからながら報告されています。また、色覚異常が「矯正できる」と謳ったメガネが、現在も高額で販売されています。これらの「治療」ないし「矯正」の効果が製造元らによって検証された際、「治った」と語る当事者の声が意図的に引用されました。この出来事は多くの眼科医に衝撃を与え、当事者の「語り」は信用を大きく失いました。  一方、そのような状況の中で、「治療」「矯正」の真贋を自己判断しようと、医学に寄り添う決心を固めた当事者たちが現れる動きもありました。そういった当事者たちは、1980年代から組織化を始め、色覚を専門に研究する眼科医たちの助言・援護を受け、社会適応の方策を探り始めていました。しかし、運動体としての性格は強くなく、自己確認・自己認識の作業を共同で行っている様相をもっています。 【3-3】1990年代以降:欠格条項撤廃要求型運動のはじまり  追って1990年代から目立ちはじめた当事者の主張は、進学・就職・資格取得などの機会制限に対する強烈な異議申し立てでした。この要求に賛同する当事者らは団体を組織し、急進的な運動を始めました。社会運動にはある程度の理論が必要となりますが、このときの運動論拠は、先天色覚異常者自身による「不便を感じていない」という「語り」にありました。また、この時期の運動との因果関係を証明することは難しいのですが、同じ頃、一部の大学で門戸の拡大が始まっています。  同時に、この急進的な運動は迷走を始めてもいました。「色覚異常とは社会が造り出した障害である」といった言説が声高に語られ、関係する制度のすべてを「差別」であると訴えました。運動の矛先は医学に対しても向けられ、「色覚異常という言葉を使ってはならない」「色覚異常という診断を下してはならない」「診断精度の高い色覚検査器具を使用してはならない」「色覚検査はなくすべき」などと訴える当事者が現れたため、眼科医らを巻き込む騒動に発展しました。結果、論拠である「不便を感じていない」という主張が疑われ、当事者の「語り」の信用度は落ち続けることとなりました。 【3-4】2000年代以降:情報保証訴求型運動のはじまり  2000年以降になると、これまでと反対に「日常的困難を感じる」と語り、自身を福祉サービスの対象として取り入れるよう要求する先天色覚異常者らが現れました。世に不満を訴え、製品や環境の色彩を変えれば不便がなくなる、それが社会の責務だと主張し始めました。いわゆるユニバーサルデザインと呼ばれる運動ないし事業への相乗りを要求してのものですが、この頃から、「色覚障害」という言葉が誤用され始めた様子があります。  この運動に参加した先天色覚異常者らは、状況転換を待ち切れず、ソーシャルビジネスを始めました。営利事業の都合によって、市場拡大を図る必要が発生するため、どうしても、自身のインペアメントを誇張して語る傾向になります。また、営業成果の顕在化を図るため、独自の造語の使用や、認証マークの添付を要求し始めました。この運動における、インペアメントの誇張と医学用語の否定は、医学的見地からの不信感を余計に募らせることとなりました。  なお、余談ですが、情報保証は Information Assurance の訳語であるため、私は「保証」と記述しています。 【4】先天色覚異常当事者の位相、当事者運動の行方 【4-1】当事者運動の類型  これまで述べてきたような歴史的変遷をふまえ、先天色覚異常当事者の位相の整理を試みます。私は、当事者運動の類型を、社会適応型・欠格条項撤廃要求型・情報保証訴求型の三つに分類しました。以下、それぞれの特徴の概略を述べます。  (1) 社会適応型  当事者の属性は先天色覚異常者、遺伝的保因者、その家族。医学的思考を基本に据えつつ、制度上の欠点の合理的解決を要求する。制度要求はそれほど激しくないが、医学用語の改善要求には日本眼科学会が呼応した形となった。色覚検査および欠格条項については条件付き容認。インペアメントの顕示性は低いが、自覚は比較的高い。目的行動性は低い。問題意識の所在はパーソナルケアレベル。  (2) 欠格条項撤廃要求型  当事者の属性は先天色覚異常者に限定され、比較的軽度のインペアメントをもつ者が多い。医学的思考に対する抵抗感が大きい。制度要求は欠格条項の問題に集約され、色覚検査は欠格条項存続の手段とみなし、全否定。インペアメントの顕示性は低く、自覚は低い。目的行動性は非常に高く、おもな矛先は行政へ向けられる。問題意識の所在はナショナルレベル。  (3) 情報保証訴求型  当事者の属性は先天色覚異常者に限定され、比較的強度のインペアメントをもつ者が多い。医学的思考に対する反発は大きいが、表面的には合理的思考を装う傾向が強い。制度要求は情報保証の問題に集約され、色覚検査は否定。インペアメントの顕示性は非常に高く、誇張があるため、自覚程度は不明。目的行動性は非常に高く、営利性が強いため、おもな矛先は民間企業へ向けられる。新自由主義的思考をもち、事業の海外進出を視野におく。グローバルレベル。 【4-2】先天色覚異常当事者の位相  この三類型のいずれの当事者も、当事者自身の視点から見れば、身体と精神とを一致させようという方向に向いていることに違いはありません。そもそも先天色覚異常というインペアメントを冷静に自覚することが非常に難しいため、当事者の抱える意識の出発点が、身体と精神とが分離した状態にあるためだろうと考えられます。  身体を物質的なものとするならば、自身の身体を客観的に捉えるには、論理的な思考すなわち医学を用いるのが最も合理的であろうと思われます。よって、社会適応型の当事者は、眼科学を用いて、自身の主観である色覚という感覚および知覚を捉え直し、身体と精神のズレを埋めようと努力しているように見えます。  対して、欠格条項撤廃要求型や情報保証訴求型の当事者は、個人的な感覚・知覚であるはずの色覚を基準におき、そこから身体を引き寄せようと努力をしています。その際、論理的思考なく身体を引き寄せようとしているため、身体と精神のズレをうまく重ね合わせることが難しくなります。そこで、身体と精神のズレは、自他の意識差となって顕在化し、しかし既に基準となっている自意識を動かすことはできないため、一方の、他者の意識の方を動かせないかと試みます。その結果、制度改善が最も大きな運動目的となるのだろうと考えられます。 【4-3】当事者運動の行方  こうして、欠格条項撤廃要求型や情報保証訴求型の当事者による運動は、医学・眼科学と対立したままの状態にあります。果たして先天色覚異常当事者は、このまま医学的な思考を受容せずに運動を続けていてよいのでしょうか。また、眼科学は、当事者の役に立たない学問であるとみなされていてよいのでしょうか。  私はそうは考えません。市民が社会に対して何らかの要求をする際には、可能なかぎり自律しようとするべきでしょう。先天色覚異常当事者の主張が正当であるかどうかを判断する際、その自律性の裏付けとして、当事者の主張と眼科学による知見との間に齟齬のない方がよいと思われます。よって、当事者と眼科学は、良好な関係を構築した方がよいと考えるものです。  当事者と眼科学が良好な関係を構築するためには、何が課題となるのでしょうか。  第1の課題は、当事者によるインペアメントの正確な自覚にあります。もちろん、先天色覚異常に関する問題を社会の側の責務として考えていくことは重要でしょう。しかし、社会の側から当事者の「語り」が無効であると見なされた場合、当事者と社会との関係は修正できないものとなってしまうでしょう。そうであれば、当事者の「語り」に対して一定の普遍性や客観性を与えるために、当事者側には、自身のインペアメントを正確に捉える義務が発生するのではないかと思われます。しかし、先天色覚異常は感覚器の先天的なインペアメントであるため、客観的な自覚が非常に難しいのです。その自覚を助けるためにこそ眼科学が有効であることを再確認するべきだと、私は考えます。  第2の課題は、「当事者」の再定義であろうと思います。先天色覚異常は遺伝形質であるため、遺伝的保因者も、間違いなく問題の当事者であろうと、私は考えます。ところが、過去の当事者運動において、遺伝的保因者の問題はほとんど触れられずにきました。遺伝的保因者たちは、家庭内で孤立し、大きな不安を抱えながら暮らしています。このことを大きな社会問題であると捉え、当事者の全体像を再構築するべきであろうと思います。