■5−1 「認められない」病いの社会的承認を目指して ――韓国CRPS患友会の8年の軌跡―― 大野真由子(立命館大学) T.問題と目的 CRPS(複合性局所疼痛症候群)とは慢性疼痛を主症状とする難治性の病気である。本邦での認知度は極めて低く、患者会もあまり機能していないが、韓国には「CRPS患友会」という患者団体があり、多くの功績を納めている。日本では存立すら困難であるCRPS患者会がなぜ韓国では成功しているのか。本稿の目的は、韓国CRPS患友会の代表であるイ氏へのインタビュー調査をもとに、患友会の歴史と活動を明らかにし、その意義と課題を考察することにある。 2.患友会設立までの経緯 ――イ氏の個人史――  2-1.診断をめぐって 2002年、イ・ヨンウ氏は乗っていたバスが急停車したはずみに左手首を座席の背もたれにぶつけた。痛みは次第に激痛へと変化していったが、検査では特に異常が見つからなかった。ある日、妻がインターネットでイ氏の症状がCRPSという病気に当てはまることに気づいた。当時の韓国では痛みは我慢するものという意識があり、疼痛外来などはほとんどなかった。イ氏は正確な診断を求めて米国へ渡り、UCLA大学病院で正式に、彼の病気は「CRPSタイプT」で、左腕の機能は全廃しているとの診断を受けた。 イ氏をなによりも苦しめているのは痛みである。外見上は健康そうに見えるイ氏であるが、左腕には「死にたくなるほどの」痛みが止むことなく存在している。痛みは左手首から始まり、右手、足、最終的には全身へと広がっていく。麻薬指定されている薬を最高限度まで打ち、副作用で1週間意識を失ったことや心肺蘇生法を受けたことまである。 2-2.2つの裁判 イ氏はバス会社と生命保険会社に対し治療費や保険金の支払いを請求したが、両社に拒絶されたため訴訟を提起した。5年に渡る裁判でイ氏の勝訴が確定し、イ氏の障害は3級に該当すると認められた。この裁判は「異例的な判決」として広く報道された。原告の立証責任を軽減しCRPSと事故との因果関係を肯定したこと、また、米国で得た診断書が国内の裁判所で初めて採用され、痛みを障害として認める判断を下したという2点が重要なポイントであった。 2-3.離職 イ氏は放送コンテンツ事業を経営していた。だが、体調が回復せず徐々に仕事は減り、事故から4年後、ついに廃業を決意した。 医療、裁判、日常生活、社会生活といったあらゆる場面において、イ氏は様々な困難にぶつかっていた。一家の大黒柱として頼もしい存在だった自分が、職を失い、経済的不安を抱え、子どもと遊んでやることすら満足にできない状況にいる。個人的な悔しさや悲しみはいつしか「同じ病気の患者さんを救いたい」という熱い思いへと形を変え、彼の眼は社会へと向けられていった。     3.韓国CRPS患友会の活動の歴史 3-1.設立の背景 2002年12月、イ氏はCRPS患友会をたち上げた。当時の韓国では痛み自体が疾病だという認識はなく、「CRPS」という概念すら存在していなかった。他方、米国では医師や患者会の活動の蓄積によって、その頃すでにCRPSは病気であり障害であるという認識が医療や保険業界に浸透していた。その事実を知ったイ氏は、米国で認められているものがなぜ韓国では認められないのかという強い疑問を持ち、国内の医師、弁護士、報道関係者など様々な方面に働きかけ始めた。 3-2.患友会の構成   患友会の会員は現在245人である。そのうちCRPSと正式に認められ会費を納めている正会員は70人、残りはまだ確定診断を受けていない者や家族などの一般会員である。患友会では診断書の提出を義務づけ、CRPSと確認できた者だけを正会員として登録している。ソウルと京畿道だけで登録患者の8割以上が占められているが、これは医療格差によるものであって、地方にいる「潜在的患者」の存在は否定できない。米国の調査に照らせば、韓国にも少なくとも2万人の患者がいるとイ氏は推測する。 会の運営は、会長であるイ氏、ソウル大学病院で麻酔疼痛を専門とするキム医師、弁護士、事務局長、会計の5人で行っている。院内患者会のような組織を除き、いち患者会の役員に専門家が名を連ねているというケースは韓国でもほとんど見当たらない。 3-3.患友会の5つの活動 患友会の活動は大きく5つに分類することができる。 (1)患者と家族に対する教育・相談活動 患友会ではHPを作成し、活動報告や相談活動を行っている。また会員は医療相談や法律相談を受けることができる。 2006年には米国の財団から援助を受け、「患者と家族のための資料集」と題したパンフレットを作成した。そこには患友会の活動内容、CRPSの診断と治療のガイドライン、自宅でできるリハビリ法などが記載されている。また、政府機関と共同して「CRPS」という資料集も出した。内容はほぼ同じであるが、CRPSについての正確な情報を国の機関が示したというところに大きな意味がある。 患者とその家族を対象としたセミナーも定期的に開催している。セミナーでは早期治療の重要性を訴えるとともに、知識と理解を広めるための啓蒙活動を行っている。 (2)医療従事者への啓蒙活動 患友会ではCRPSカードを作成し患者に配布している。カードには所持者がCRPS患者であること、検査や治療についての注意事項、主治医の連絡先などの5項目が記載されている。CRPSを扱えるのはいまだ都市部の限られた専門機関のみであり、患者が救急搬送されても一般病院では病名すら知らない医師も多い。そのような事情から、このカードは緊急時にすばやく担当医に連絡し、一刻も早く適切な処置ができることを目的として作られた。 (3)行政に対する政策提言  @医療費支援制度について 韓国国民は医療費の60%負担が原則であるが、治療法も確立されておらず、継続的なケアが必要なCRPS患者にとって、長期にわたる高額な医療費は経済的困窮を招いていた。だが、患友会の働きかけにより、2005年に稀少難治性疾患本人負担軽減事業の対象としてCRPSが含まれ、患者の負担率は20%(2009年7月以降は10%)にまで減額された。また、同年8月には脊髄刺激装置に健康保険が適用されるようになり、これまで1,360万ウォンかかっていた手術費が270万ウォンですむようになった。さらに、2006年には医療費助成事業の対象疾患として認定され、低所得者は20%の負担も免除されることとなった。稀少難治性疾患として登録されている618疾患のうち、政府の支援政策対象となっているのはわずか132疾患である。そのなかに含まれたということは、政府がCRPSを国をあげて援助すべき疾患だと認知したことを意味している。 A障害者福祉制度について   CRPS患者で福祉カード(障害者手帳)を所持している者はほとんどいない。その理由は現行の制度が医学モデルによる障害概念を前提としていることにある。身体的機能障害が認定基準である以上、痛みがどんなに生活に支障をきたしていても「障害」には該当せず、何の支援も受けることはできない。 2003年1月、患友会はノムヒョン大統領に対しCRPSの障害認定を建議し、国会に対しても疼痛を障害として認めるよう請願を行った。その後も「障害をもっている人にも幸せに生きる権利がある」、「CRPS患者にも福祉カードを」と政府に訴え続け、ついに2004年、国家人権委員会において「CRPSに関する法定障害制度改正法案シンポジウム」が開催された。また、2007年のCRPS障害制度改善セミナーでは、キム医師らがAMAの疼痛障害基準を例に挙げ、韓国でも痛みを障害として認め、客観的で普遍性のある新たな障害認定基準を設けるべきだと主張した。さらに、2010年には自動車保険会社を対象とした「CRPSについての法案」3件が発議された。 現在、大韓医学会では障害認定ガイドラインの見直しが検討されており、生活モデルを 考慮した「障害」概念が構築されつつある。痛みが障害として法的に認められ、福祉サービスを受けられるようになれば、全国で苦しむCRPS患者の多くが救済されることだろう。 (4)他国患者会との交流活動 患友会はアメリカ、イギリス、オランダ、カナダなど他国患者会との交流を非常に重視している。特に米国患者会とは深い信頼関係を築いており、患友会の設立にあたっても多くの助言を得た。イ氏はアメリカで開催されるセミナーに2年に1度は必ず出席し、最先端の情報を得て資料を医師や政府に配って回る。 2007年には韓国でのセミナーに米国患者会を招待し、来年はオランダ患者会をよぶ計画も立てている。世界中には苦しんでいる多くのCRPS患者が存在する。患者が一丸となって、国境を超えて協力することが、CRPS患者全体の地位向上と権利の獲得につながっていく。 (5)社会的認知向上のための活動  設立からの7年間で、CRPSに関するTV・ラジオ放送は45件、新聞・雑誌には52件の記事が取り上げられた。韓国でCRPSの痛みは「末期がん」、「帰って来ることのできない川を渡った」としばしば表現される。今でも毎年会員の1、2人が自ら命を絶つという悲しい事態が起こっている。その背景には、病気に対する無理解や役割の喪失による家庭破綻、就労困難な状況下での経済的困窮などが挙げられる。メディアを通じて患者や家族へ、そして一般の人へとCRPSについての正確な知識と理解を広めることで孤独や不安に苦しむ患者を一人でも減らすことができるようにとイ氏は強く願っている。 3-4.財政  1ヶ月の会の運営費は会員から徴収する1万5千ウォン(約1,100円)の会費と38万ウォンの寄付金である。小規模な交流会を開催するにも年間8,000万ウォン〜1億ウォンの経費が必要となるため、会の資金繰りは極めて重要な問題である。 そのため、会費を2ヶ月以上滞納した者は正会員から一般会員に降格し、正会員の特権的なサービスを受けられなくしている。厳しすぎるとの批判もでているが、財源が途絶え、活動に支障をきたすことになれば、取り返しのつかない損失を与えることになるとイ氏は考える。2006年には、アジアの患者会で初めて米国財団から3,500万ウォンの教育基金をもらうことができた。また、2007年には、アメリカ患者会がセミナーで得たお金を全額患友会に寄付してくれた。寄付金がもらえるということは、患友会という団体が社会的に信用されていることの証でもある。   4.考察 自身の先行研究ではCRPS患者特有の苦しみを表す5つの概念を抽出した。これらは最終的に@CRPSが痛みという可視化・数値化できない個人の主観的体験を主症状とし、A社会的認知度が低い病いであるという2点に集約できた。この2点に考慮しながら韓国CRPS患友会の活動を改めて眺めてみると、患友会の特徴や果たしてきた役割の意義は、それまで不可視なものにとどめられてきた、CRPS患者の主観的心理的経験の可視化、CRPS患者の存在の社会的な可視化にかかわるものであることが明らかになった。 4-1 不可視なものを可視化すること イ氏は裁判という公の場でCRPSの障害認定を勝ち取ったことにより、可視化が困難な痛みを「判決」という形で可視化することに成功した。それは、韓国国内にCRPSという病気の存在を認知させ、痛みが「障害」となり得るということを司法・医療・保険業界に知らしめた。イ氏の勝訴判決以来、医療事故、交通事故、労働災害を原因としてCRPSを発症した者の裁判が相次いで行われている。 また、CRPSカードは、視覚的にも社会的にも「見えない」病気であるCRPSを見えるものへと転化している。これまでに「わからない」「気のせいだ」「精神科へ行け」と医師から言われた経験をもつ者は多い。そういった何気ない一言に治療意欲を失って症状が悪化したり、初期治療の機会を逃してしまった人がいるなかで、このカードは患者が治療過程で医療者から傷つけられることを未然に防ぎ、医療者にCRPSを認知させる重要な役割を果たしている。2002年と比較しても、現在CRPSを専門的に扱える病院は全国に少なくとも9箇所はあり大幅な増加がみられる。   4-2 メディアを利用した社会的認知の向上 病気に関する正確な知識は、人々の共感を招く。共感が得られるということは患者の生きる苦しみの世界が推定されているということであり、それは病気が社会に承認されていることをも意味している。前述したように、韓国ではこの8年間で100本以上ものニュースやドキュメンタリー番組が放送されてきた。メディアの力は絶大である。全国ネットで放送されたときは毎回大きな反響があり、その声が政府の改革を後押ししている。 4-3 医師との強い連携 患友会の特徴として特筆すべきことは、医師との連携の強さである。CRPSは発症原因のひとつに手術や採血などの医療行為があることや、発見・診断・治療の各段階において医師から心ない言葉を受け、医師に不信感を抱いている者も少なくない。しかし一方で、継続的な治療が必要である以上、医療との関わりは決して切り離すことはできない。新薬の開発や、医療環境の整備・保険、障害認定といったいずれの場面においても医師の協力なしでは達成困難な課題が山積している。また、何よりも専門医が籍を置いているということ自体が会の社会的信用を高めている。様々な団体から寄付を得られたのも、医療制度や障害制度の見直しがこんなに早く実現したことも、医師との協力関係があったからだろう。 4-4 患者の権利保障を重視 患友会では患者同士の交流に極めて慎重な姿勢をとっている。お互いの連絡先を書きこむことや症状・治療に関するコメントをすることは一切禁止し、サイト管理を徹底して行っている。それには2つの目的がある。 ひとつは、患者が素人判断で誤った治療を選択することを防ぐためである。知識のある患者が他の患者に医師のようにアドバイスをしたり、患者同士で「この治療はよかった/悪かった」などと意見交換するなかで取り返しのつかない判断ミスが起こることをイ氏は危惧している。 もうひとつは、ニセ患者の問題である。医療費の優遇措置、事故の補償、徴兵制度問題などにおいてCRPS患者の権利が認められるようになってきた頃から、患友会のHPにも「自称」CRPS患者が潜入し、他の患者たちから症状を聞き出そうとする事件が何度か起こった。保険会社からも「CRPSを障害と認めるとニセの患者や症状を大げさに訴える人が現れる危険性がある」との指摘を受けているが、イ氏は「そういった一部の問題だけを取り上げて一般化するのは間違っている」と反論する。 患友会は仲間同士の交流と法的権利の獲得という2つのバランスをどのようにとっているのだろうか。現在のところ、患友会は後者に重きをおいている。ニセ患者の存在は事実として否定できない以上、社会的信頼のうえに与えられた恩恵を真に苦しむ患者のためだけに利用していることを証明することこそが、現在そして未来の患者の権利を守り、安心して生きられる社会を作ることにつながると考えているからである。 おわりに イ氏の個人史と患者会は非常に密接な関係にある。イ氏自身が裁判を起こし、法的権利の獲得というところからスタートしたところが、現在の患友会在り方を大きく規定している。患友会の努力により、韓国で全く認知されていなかったCRPSが、今では法的に「認められる」病いとなった。障害の問題は依然大きな課題としてはだかっており、差別や偏見も残ってはいるが、活動前進が日々実感として感じられる今、CRPSが社会に承認される日もそう遠くはないだろう。 患友会の功績はイ氏の個人的つながりと多大なる努力によってなしえた部分が大きく、韓国の例をそのまま本邦に適用することは困難である。ただ、患友会の活動の軌跡を通してひとつの成功モデルを提示し、その具体的要因を明らかにできたことが本研究の大きな成果だと考える。ここから得られた知見は、日本の既存の患者会が活動を再開する際、もしくは新たな患者会を設立する際に有用な視点をもたらしうるだろう。 今後は米国やイギリスなど様々な国におけるCRPS患者会についても同様の調査を進め、日本や韓国との共通性や差異を提示することを課題として掲げたい。当初イ氏が感じたように、同じ病気で、同じように苦しむ患者がいるにもかかわらず、ある国では法的にも社会的にも認められ、ある国では全く認められないという状態は国の政策や財源の問題だけで片付けられるものではない。多くの国で「認められていない」もしくは「認められていなかった」病いであるCRPSをとりあげ比較した蓄積は、ある特定の症状が病気として医療化され社会に承認されていく過程を患者会という視点からながめることのできる可能性を秘めている。また、こうして隣国の障害学領域がめざましい進歩を遂げているという事実を認識することは、日本でも「障害」の定義を再考する大きなきっかけとなるだろう。