■3−4 ディスアビリティ論から見た差別禁止法 安田理人(東北大学) 1 問題関心  1990年、アメリカにおいて障害を持つアメリカ人法(以下、ADAと記述)が制定されました。国連においては、2006年12月13日に障害者権利条約が採択され、2008年5月3日に発効しました。日本においても千葉県、北海道において差別禁止条例が制定され、その他の自治体において差別禁止条例に関する議論がなされ始めています。さらに、障害者権利条約の批准を見越して、差別禁止法に関する議論も始まっています。  しかし、ADAによって、障害者の雇用が増加しておらず、雇用領域における差別禁止法の実効性に疑問が抱かれています。O'Brienによると、ADA成立後の裁判は、次のような結果になっています。「全てのタイトルT1の訴訟の80パーセントは、略式裁判によって否決され、残りの20パーセントのうちの94パーセントは雇用者に好意的な決定がなされた」。(O'Brien 2001: 163)。杉野も、このO'Brienの見解を肯定的に引いて、同趣旨の見解を述べています(杉野 2007: 108)。  本報告の目的は、星加良司(2007)におけるディスアビリティ論をもとに、差別禁止法における雇用領域の可能性を考察することです。特に、合理的配慮という概念が、どのような可能性を持ちうるかを考察します。 2 ディスアビリティ論 星加は、ディスアビリティとは、「不利益が特有な形式で個人に集中的に経験される現象」であり、ディスアビリティの解消とは「特定の個人に不利益が集中するのを回避すること」であるとしています(星加 2007: 195)。「ディスアビリティは解消されるべきものである」ことを目的としています(星加 2007: 23)。この目的を果たすために、ディスアビリティ理論に次の4つの性能が設定されています。 @「解消可能性要求」を、「解消や削減の可能性に開かれた、その意味で実践的な課題に対して貢献しうる理論になっているかどうか」と定義しています(星加 2007: 24)。A「同定可能性要求」を、「そのディスアビリティ理解によって、障害者の経験する『問題』を他の『問題』から弁別された特徴的なものとして把握しうるかどうか」と定義しています(星加 2007: 25)。B「多様性要求」を、「ディスアビリティ現象の多様性に開かれ、その間の質的な差異について扱うことのできる枠組みになっているかどうか」と定義しています(星加 2007:25)。C「妥当性要求」を、「ディスアビリティ解消の望ましさが経験的・規範的な根拠によって主張されるような構成になっているかどうか」と定義しています(星加 2007: 26)。 星加は、従来のディスアビリティ論の有していた諸前提を、次のように修正しました。 @「不利益の原因を個人の外部としての社会に求める従来の理解を批判し、特定の関係性への評価として不利益を把握する視点を提示したこと」です(星加 2007: 245)。A「記述的な不利益の特定という前提は維持され得ず、規範的な問いへの回答が予め要請される場合があることについて明らかにしたこと」です(星加 2007: 245)。B「規範的な問いに取り組む際、個々の不利益のあり方のみならず生全般にわたる不利益の複合的・複層的な経験に着目したこと」です(星加 2007: 245)。C「明示化・固定化されたルールによってもたらされる不利益のみを扱うディスアビリティ理解を超えて、個人的な経験や主体間のミクロな相互行為の位相におけるディスアビリティの生成過程に着目したこと」です(星加 2007: 245)。  星加は、ディスアビリティとは、「不利益が特有な形式で個人に集中的に経験される現象」であり、ディスアビリティの解消とは「特定の個人に不利益が集中するのを回避すること」であるとしています(星加 2007: 195)。不利益を、「ある基準点に照らして主観的・社会的に否定的な評価が与えられるような、特定の社会的状態である」としています(星加 2007: 116)。 社会的状態とは、「諸個人が感得している『社会的価値』の達成度と、そのために払われているコストによって表現されているもの」です(星加 2007: 117)。基準点とは、「aに肯定的/否定的な評価を与えるために参照される規範的状態であり、『社会的価値』の達成度についての期待値のほか、コストと達成度との関連についての規範的な観念をも含んでいる」ものです(星加 2007: 118)。「社会的価値」の達成度は、「『社会的価値』と『個人的条件』との関係によって規定され」ます(星加 2007: 120)。「個人的条件」とは、「生物としての個人に備わった身体的・知的・精神的な条件condition」です(星加 2007: 120-1)。「利用可能な社会資源」を次のように定義しました。 広義の社会制度によって裏打ちされた公的サービスや民間サービスもあれば、インフォーマルな関係において調達可能な個人的な支援もある。また、テクノロジー等による技術的なサポートもあれば、ヒューマンサービス等の人的なサポートもある。さらに、諸個人にとっての直接的な利益につながるような狭義のサービスのみならず、「社会的価値」の再編や「個人的働きかけ」への動機を生み出すような文化的資源も含まれる(星加 2007: 122)。 3 ディスアビリティ論から見た差別禁止法  星加は、ADAにおける合理的配慮は「その提供が雇用主の規模や資産等に照らして『過度な困難undue hardship』であると認められる場合には免責され」、「その判断の如何によっては障害者が依然として不利な取り扱われ方をされる事態が『正当に』放置される」危険性を指摘しました(星加 2007: 73)。またこのような判断は、「ディスアビリティの非文脈的特定」と「ディスアビリティの記述的特定」に立脚することと関連していると述べました(星加 2007: 75-6)。  一方、「アファーマティブ・アクション」関しては、「『不利益の集中』が回避されるべきであることの妥当性が社会的に共有されているならば」、「そうした対応は『哀れみ』といった情緒的なレベルにおいてではなく正義の領分において正当化される」と指摘しました(星加 2007: 277)。  合理的配慮については、「一部の『有能な』障害者が雇用」されるが、「より『重度』な障害者」が雇用されないという事態を引き起こし、「多様性要求」に反すると述べました(星加 2007: 75)。  しかし、ADAの影響を受けたのは、「一部の『有能な』障害者」と「より『重度』な障害者」だけなのでしょうか。  ディスアビリティ論から合理的配慮という概念の意義について、次の3点のことが言えるのではないかと思います。 @ADAは、「障害者」の新規雇用を創出するというよりも、離職を防止するという意味で多用されたと言えます。Willbornが示しているように、解雇に関する訴訟は、新規雇用に関する訴訟の約10倍に上っています(Willborn 2000: 105)。杉野も、このWillbornの見解を肯定的に引いて、同趣旨の見解を述べています(杉野 2007: 108)。 ADAにおける、本質的要素以外の部分には、次のような内容になっています。 (A)従業員によって使用される現存する施設を障害者に容易に利用でき(アクセシブル)かつ使用可能にすること。 (B)仕事の再編成、パートタイムまたは変更された勤務日程、空席の地位への配置転換、機器または装置の取得または改変、試験、訓練教材または方針の適当な調整または変更、有資格の郎読者または通訳の提供、およびその他、障害者のための同様の配慮2」(全国社会福祉協議会 1992: 9-10)。 合理的配慮によって、(A)、(B)で述べられたことについて、企業内で必要な配慮を受けることができます。合理的配慮という概念が導入される以前は、本質的要素以外の部分の個々のものが、労働者にとって不利益の「複合化」と「複層化」を引き起こす要因となる危険性をはらんでいたのです。不利益の「複合化」と「複層化」は、雇用の領域外(交通、建築、情報など)以外で起こっていたと同時に、ADA施行以前に雇用の領域内でも起こっていたのです。 ところで、合理的配慮と、アファーマティブ・アクションにはどのような違いがあるでしょうか。小石原尉郎(1994)は、アファーマティブ・アクションと合理的配慮の違いについて、次のように論じています。 アファーマティブ・アクションについて、以下のように論じています。    積極措置は、その性格において救済であり、過去の不当な影響の結果を乗り越えるため、絶えず差別の被害者であり続けた集団に対し、優遇的扱いが要請されるという 考えに基づく…。積極措置は、ただ単に他者と要保護集団に属するメンバーとを同一条件下で競わせる以上のことを含む。いな、むしろ要保護層の参加を増加させる明確な目的に合わせ、有利な、異なる選択基準を要保護層者層に与える(小石原 1994:62)。  次に合理的配慮について、以下のように論じています。 積極措置に比べ、合理的便宜は理論上救済の措置ではない。合理的便宜は過去の差別の結果の克服に着目するのではなく、雇用おける現在の障害を克服することに注意を向ける…。実践においても同様であり、合理的便宜は、正当な選択基準の変更を雇用主に要請するものではない(小石原 1994: 62-3)。   つまり、アファーマティブ・アクションの特徴は、@時間軸、A対象、B選択基準、の3点から区別することができます。 まずアファーマティブ・アクションですが、@過去の不当な影響の結果を乗り越えること、A対象は集団、B有利な異なる選択基準を与える、であります。  次に合理的配慮ですが、@現在の「障害」の克服、A対象は個人、B選択基準に変更はなく同一(機会の平等)、であります。  アファーマティブ・アクションは、時間軸をもとに見ると「過去の不当な影響の結果を乗り越えること」を目的としています。この時間軸を勘案したアファーマティブ・アクションの目的は、「『不利益の集中』を問題にするアプローチ」、すなわち「個々の不利益に関する評価基準に加えて、不利益が諸個人に分布しているあり方に関する評価基準が導入されて」おり、「他の状況における差異」に基づいて判断するということに適合的であるということができます(星加 2007: 276)。  合理的配慮は、ディスアビリティ論から見ると、不利益の解消の役に立たないのでしょうか。合理的配慮の特徴は、個人を対象としてその人に応じた対応を行うことにあります。ADAにおいては、「健常者から障害者への変身」(Stein 2000: 55)といった現象に見られました。杉野も、このSteinの見解を肯定的に引いて、同趣旨の見解を述べています。(杉野 2007: 109)。ADAは、「潜在的な障害者」(杉野 2007: 109)も含んだ、多様な「障害者」を包み込むことができます。合理的配慮は、多様な労働者を不利益の「複合化」と「複層化」から守られ、離職することなく仕事を続けていけるような効果を発揮する可能性があるのではないでしょうか。合理的配慮は「障害者」、一時的な怪我人・病者、「障害」と「健常」の境界に位置する人など多様な存在を包み込むことができると言えます。合理的配慮は、ディスアビリティ論における「多様性要求」に応え得るのではないでしょうか。 A合理的配慮は、「利用可能な社会資源」を上昇させることを通じて、「社会的状態a」を上昇させるといえます。 星加は不利益を次のように定義しています。    不利益とは、ある基準点に照らして主観的・社会的に否定的な評価が与えられるような、特定の社会的状態である(星加 2007: 116)。  いま述べたことは、「ある社会的状態(a)が評価の際の基準点(P)に照らして否定的に評価される場合、すなわちa<Pという評価がなされる場合に、不利益が生じているものと把握するということ」です(星加 2007: 116)。逆に、a>Pという評価がなされた場合は、不利益は生じておらず、利益を得ていると言うことができるのです。 「社会的状態a」は、「社会的価値」と「個体的条件」との関係に規定されています(星加 2007 120)。「利用可能な社会資源」と「個人的働きかけ」が、「社会的価値」と「個体的条件」に影響を与えることができ、「社会的状態a」を変化させることができるという関係です(星加 2007: 121-2)。 雇用者は、合理的配慮のための費用が低いことに驚かされたそうです(Barns 1999=2004: 210)。例えば次のような数字があります。「従業員に配慮をするために使った内で1ドルにつき平均28.69ドルの利益を実現した会社において、仕事を助ける配慮の69パーセントは500ドル未満、81パーセントは1000ドル未満かかったとJAN3は報じた。従業員が配慮された会社はその結果として、34%の会社は1ドルから5000ドルの節約、16パーセントの会社は5001ドルから10000ドルまでの節約、19パーセントは10001ドルから20000ドルの節約、25パーセントは20001ドルから100000ドルの節約になったと報告した」といった具合です(Stein 2000: 56)。 このような(A)、(B)に示されたような合理的配慮は、少ないコストで雇用現場における「利用可能な社会資源」を上昇させ、ひいては社会的状態を向上させると言えます。ディスアビリティ論における、「妥当性要求」を満たすと言えるのではないでしょうか。 B合理的配慮は雇用領域に留まらず、その他の領域において機能します。雇用領域のみならずその他の領域において合理的配慮を機能させていくことにより、不利益の「複合化」と「複層化」による、「不利益の集中」を一定程度、食い止めることができるのではないでしょうか。 星加によると、「不利益の集中」は「複合化」と「複層化」を通じて生じる現象であるとされています。一つは「不利益の複合化」で、「基本的に個々の社会的状況における諸々の『社会的価値』と『個体的条件』との関連に規定されて生じる不利益が重なる状態」のことです(星加 2007: 198)。不利益の複合化は、「あらゆる事柄について『できない』状態にあるということのみならず、そのように特定の個人に不利な『社会的価値』のリストが、我々の社会に存在していることの現われでもある」のです(星加 2007: 199)。「『障害者』というカテゴリーが、生産能力を要求する『社会的価値』との関連で創出されたものであり、またその生産能力を要求する『社会的価値』が社会の編成の基底に置かれていることと関連している」と思います(星加 2007: 199)。 ADAは雇用領域のみならず、交通、建築、通信などの領域においても効果を及ぼしています。「障害という『一つの』カテゴリーにおいて、様々な文脈における不利益が複合化するという状況に焦点を当ててい」ますが、「『一つの』カテゴリー」に対応する合理的配慮が、社会のあらゆる領域を対象になされるADAにおいては、「不利益の複合化」を一定程度食い止める可能性を持つと言えるのではないでしょうか。 もう一つは、「不利益の複層化」で、「いったん特定の社会的活動において『できない』状態になると、そこから自動的に他の社会的活動に関しても社会的状態が悪化し、不利益が生じてくるということ」です(星加 2007: 200)。Steinによると、「ICD4の調査によって、ADA法に先立って、障害者の3分の2近くが映画もスポーツイベントにも行けなかったが、4分の3は映画館や音楽会にあまり訪れていなかった。これらの実にひどいパーセンテージはADAのタイトルUとVによって実行された(公共交通へのアクセシブルのような)物理的変化のために時間とともに減少する」という見通しを述べています(Stein 2000: 55)。「不利益の複層化」は、「より『軽度』な不利益がより『重度』な不利益へと変換されていく過程」でもあります(星加 2007: 200)。ADAは時間の経過とともに、交通、建築、通信などの社会のあらゆる領域において、合理的配慮が徹底するにつれ、このような負の連鎖を「軽度」な不利益の段階で、一つ一つ食い止めていき、「不利益の複層化」を一定程度、減少させていくことができるのではないでしょうか。ディスアビリティ論における「解消可能性要求」を満たしうる可能性があると考えます。 5 結論  本報告における結論は次の3点です。  @ADAは「健常者から障害者への変身」に見られるように、「潜在的な障害者」をも含んだ、多様な労働者を包み込むことができます。ディスアビリティ論における「多様性要求」を満たしうると考えます。  A合理的配慮は「利用可能な社会資源」を向上させることを通じて、「社会的状態a」を向上させる可能性があります。さらにそれは低いコストで実行することができます。ディスアビリティ論における「妥当性要求」を満たしうると考えます。  B合理的配慮は雇用領域に留まらず、その他の領域において機能します。雇用領域のみならずその他の領域において合理的配慮を機能させていくことにより、不利益の「複合化」と「複層化」による、「不利益の集中」を一定程度、食い止める可能性があります。ディスアビリティ論における「解消可能性要求」を満たしうる可能性があると考えます。  私の報告は以上です。ご清聴、ありがとうございました。 [文献] Barns,Colin.,et al.,1999,Exploring disability : a sociological introduction,Polity Press. (=2004,杉野昭博・松波めぐみ・山下幸子訳『ディスアビリティ・スタディーズ −イギリス障害学概論』明石書店.) 星加良司,2007,『障害とは何か―ディスアビリティの社会理論に向けて』生活書院. 小石原尉郎,1994,『障害差別禁止の法理論』信山社. O'Brien,Ruth,2001,Crippled Justice:The History of Modern Disability Policy in the Workplace,The University of Chicago Press. Stein,Michael Ashley,2000,“Employing People with Disabilities:Some Cautionary Thoughts for a Second-Generation Civil rights Statute”,Blanck,Peter David, ed.,Employment,Disability and the Americans with Disabilities Act:Issues in Laws, Public Policy,Northwestern University Press,103-117. 杉野昭博,2007,『障害学―理論形成と射程』東京大学出版会. Willborn,Steven L.,“The Nonevolution of Enforcement under the ADA:Discharge Cases and the Hiring Problem”,Blanck,Peter David,ed.,Employment,Disability and the Americans with Disabilities Act:Issues in Laws,Public Policy, Northwestern University Press,51-67. 全国社会福祉協議会編集,1992,『ADA−障害をもつアメリカ人法』全国社会福祉協議会. 1  タイトルTは「雇用」。 2  訳は「適応化」とされていたが、原文では「accommodations」となっていたので「配 慮」と訳出し直した。 3  Job Accommodations Networkの略 4  世界保健機関によるInternational Classification of Diseasesの略。