■3−1 インクルーシブ教育を受ける権利の検討 ─―特別支援教育からインクルーシブ教育へ── 徳永恵美香(大阪大学) 1.はじめに はじめまして。大阪大学大学院博士後期課程の徳永恵美香と申します。今日は、「インクルーシブ教育を受ける権利の検討──特別支援教育からインクルーシブ教育へ」とうテーマで報告させていただきます。本報告の目的は、国際人権法と障害学の観点から、障害のある子どものインクルーシブ教育を受ける権利に関わる諸条約の条約解釈と条約機関の実行を検討することによって、同権利の内容と締約国の義務の内容を明らかにするとともに、特別支援教育制度からインクルーシブ教育への転換を図る法整備のために何が必要かを明らかにすることです。 今日の報告では、まず最初に、障害のある子どもの教育に関わる国内外の状況についてお話し、次に、障害のある子どものインクルーシブ教育を受ける権利に関わる国際人権諸条約の解釈や分析から明らかになった同権利と締約国の義務の内容をご説明します。そして、その後、現在の日本の障害のある子どもの教育制度である特別支援教育について、制度の概要をお話しした後、インクルーシブ教育を受ける権利の視点から、現行の制度の問題点を指摘するとともに、特別支援教育からインクルーシブ教育への転換を図る法整備のために何が必要かという点についてお話していきたいと思います。 2.障害のある子どもの教育に関わる国内外の状況 まず最初に、障害のある子どもの教育に関わる国内外の状況についてお話していきます。ご存じの方も多いかと思いますが、日本では、2007年4月に、視覚や聴覚の障害、知的障害や肢体不自由などに区別して教育を行っていた従来の特殊教育制度から「特別支援教育」への転換を図ることを目的とした改正学校教育法が施行されました。文部科学省によりますと、特別支援教育とは、障害の程度等に応じて、各人に応じた個別の指導計画を作成し、支援を行う制度であり、障害のある子どもがその能力や可能性を最大限に伸ばし、自立して社会参加するために必要な力を培うことを目指しているとのことです。制度施行から現在に至るまで、対象となる障害のある子どもに対する個別指導計画の作成が行われたり、全国の小中学校において発達障害のある子どもを対象とする特別支援学級を新設する動きが本格化しております。 これに対して、教育の分野において、インクルーシブ教育が世界的な流れとなっています。インクルーシブ教育とは、障害のある子どもを含む、すべての子どもに対して、それぞれが有する特別なニーズに応じた教育を通常学校や通常学級において提供することを目的とする教育です。インクルーシブ教育は、1980年代後半以降1990年代初頭にかけて、統合教育への批判から特に米国の実践から発達してきた教育であり、ノーマライゼーションの概念をさらに発展させたソーシャル・インクルージョンの概念を教育において実現することを目的としています。 この考えを最も表しているとされるのが、1994年にスペインで開催された「特別なニーズ教育に関する世界会議」で採択された「特別なニーズ教育に関するサラマンカ声明及び行動枠組み」です。その後、2006年12月に国連総会で採択され、2008年5月に発効した障害者権利条約では、全ての段階の教育でインクルーシブ教育を教育制度の基本として整備することを締約国の義務とし、詳細な規定を設けています。なお、日本は、2007年9月に障害者権利条約を署名しましたが、現時点で批准しておりません。 3.インクルーシブ教育を受ける権利の検討 次に、障害のある子どものインクルーシブ教育を受ける権利と締約国の義務の内容についてお話していきたいと思います。 障害のある子どものインクルーシブ教育を受ける権利に関わる国際人権条約としては、主に、社会権規約、子どもの権利条約、障害者権利条約の3つがありまして、関連する条項としては、主に次のものをあげることができます。社会権規約については、教育への権利について規定した13条、子どもの権利条約については、障害のある子どもについて定めた23条、教育への権利について規定した28条、教育の目的を規定した29条などがあります。また、障害者権利条約には、障害のある子どもについて規定した7条や障害のある子どものインクルーシブ教育を規定した24条などがあります。さらに、人権条約には、締約国の一般的義務を規定した部分があります。 今回は、これらを含め、先ほど述べた3つの人権条約の関連条項を障害のある子どもの文脈で国際人権法の観点から包括的に検討するとともに、各条約の起草過程や条約機関の実行について検討を行いました。その結果明らかになった障害のある子どものインクルーシブ教育を受ける権利と締約国の義務の内容としては、次の3つの点をあげることができます。 まず、第1に、分離教育を原則とした教育制度を廃止し、完全なインクルージョンを目標としたインクルーシブ教育を原則として、教育制度全体を整備することです。これはどういうことかと言いますと、障害を理由として一般教育制度から排除することは差別であり、すべての子どもを一般教育制度の中で教育することを確保することが締約国の義務として求められているということです。つまり、子どもを障害の有無を理由として分けて教育するのではなくて、障害のある子どもと障害のない子どもが、子どもたちが生活する地域社会の通常学校や通常学級で一緒に教育できるように、教育制度を整備していくことが締約国には求められているということです。 次に、第2点目として、それぞれの子どものニーズに応じて、教育上の合理的配慮を提供すべきである点があげられます。「合理的配慮」とは、「障害のある人のすべての人権や基本的自由が障害のない人と同じように保障されるために、特定の場合に必要とされる必要かつ適切な変更及び調整であって、不釣り合いな又は過度な負担を課さないもの」を意味し、これが行われない場合は差別となります。 「特定の場合に必要とされる」とは、障害のある人の置かれている状況は多様であるため、それぞれの状況に応じて個別の判断をするということです。また、「特定の場合に必要とされる適切な変更及び調整」とは、障害のある人の置かれた個別の具体的な状況に応じて、何が必要かつ適切な変更及び調整であるのかを相対的に判断していくということです。そして、「不釣り合いな又は過度な負担を課さないもの」とは、合理的配慮を提供する場合には、これを行う相手方に一定の経済的負担や実施上の困難が伴う場合があるため、合理的配慮の提供として具体的に選択された手段等と相手方の業務の性格や内容等を比較して、相手方にとって過重なものとならないことを求めているということです。ただし、「不釣り合いな又は過度な負担」かどうかの判断は、これらを単純比較するのではなく、合理的配慮の提供がなければ、平等な機会が奪われる障害のある人の立場を十分に考慮した上で判断する必要があります。 以上が合理的配慮の内容です。教育における合理的配慮の提供の場合には、障害のある子どもがクラスの一員として受け入れられ、学校生活を行っていくために、それぞれの子どものニーズに応じた適切な変更及び調整を行うことが合理的配慮の提供であると言えます。例えば、就学前の段階で、当事者である障害のある子どもと保護者の意向を十分に考慮した上で、当事者・行政・専門家などで構成される委員会で当該子どものニーズを総合的に審査する制度の構築などが考えられます。 また、人権条約上の国家の一般的義務には、締約国に対して即座に義務の実施を求める即時的義務を、各国の経済的理由や社会的事情を考慮して、時間をかけて実施していくことを認める漸進的義務があると一般的に考えられているのですが、「合理的配慮の提供を行わないこと」は差別ですので、締約国がそのような不作為をしている場合、あるいは私人間でそのような不作為が行われていることを放置している場合は、すぐにそのような不行為をやめるとともに、差別禁止法の制定を含め、合理的配慮の提供を保障するような制度整備を行うことが求められています。 なお、このような合理的配慮の提供は、特に障害者権利条約において国際人権条約上初めて規定された法的概念ですが、日本がすでに批准している社会権規約や子どもの権利条約においても、解釈上締約国の義務であると言えます。したがって、日本の場合、障害者権利条約を批准していないという理由で合理的配慮の提供を行わないことは認められません。この点、インクルーシブ教育との関係から言えば、教育上の合理的配慮の提供を保障する制度整備をすぐに実施する義務が日本には課せられていると言えます。 最後に、3点目としては、障害のある子どもと保護者の選択権を保障することがあげられます。完全なインクルージョンを目標としたインクルーシブ教育を原則としつつも、提供された教育環境が当事者である障害のある子どもにとって学業面や社会面の発達を最大にする環境でないと考えられる場合には、当事者である障害のある子どもと保護者が他の教育環境や形態を選択できるようにすることを保障すべき義務が締約国にはあります。この点、例えば、盲・ろう・盲ろうの子どもの教育については、各個人にとって最も適切な言語とコミュニケーションの形態で、学業面の発達及び社会性の発達を最大限にする環境で教育を受けることができるように制度整備を行うことが締約国には求められています。 以上が、障害のある子どものインクルーシブ教育を受ける権利と締約国の義務の内容です。ただし、障害者権利条約に関しては、さらに、締約国は国内に条約の実施事項を扱う担当部局に政府内に設置するとともに、条約を促進し、保護し、監視するための機関を設置することを求めている点に注意が必要です。これについては、他の主要人権条約で独立の規定を設けているものはなく、特徴的な規定であると言えます。 また、監視機関の設置については、条約上、特に、国内人権機関に関する原則を考慮に入れた機関とすることを求めていますので、独立した権限を持つ機関の設置が望ましいと言えます。例えば、国内人権機関として人権委員会を設置したり、既存の障害関連業務を行う機関の機能や権限を整備した上で、当該機関を監視機関として指定することなどが考えられると思います。さらに、これらの部局や機関などにおいて条約実施を行う場合には、その過程に障害のある人自身が全面的に参加できるようにすることも締約国の義務として課されていますので、この点も十分に踏まえた上で、締約国は条約の実施を行っていく必要があります。 4.特別支援教育からインクルーシブ教育へ  それでは、最後に、現在の日本の障害のある子どもの教育制度である特別支援教育について、制度の概要をご説明するとともに、インクルーシブ教育を受ける権利の視点から、現行の制度の問題点と、特別支援教育からインクルーシブ教育への転換を図る法整備のために何が必要かという点についてお話していきたいと思います。 特別支援教育制度は、2006年6月の学校教育法の修正を受けて、2007年4月から制度が実施されました。修正された学校教育法の規定としては、特別支援教育について規定した8章、特別支援学校の目的を定めた72条、通常学校での特別支援教育を定めた81条などがあります。また、学校教育法施行令は、その5条や18条の2で、地方自治体の教育委員会の下にある就学委員会が、障害の程度によって、特別支援教育に就学すべき者と、通常学校に就学することを認められる認定就学者を決める旨を規定しています。 また、学校教育法の他には、教育上の必要な支援を定めた教育基本法4条や、交流及び共同学習を定めた障害者基本法14条、発達障害のある人の権利との関連で、教育上の支援を国及び地方公共団体に求める発達障害者支援法8条、就学先の決定を左右する就学時健診を定めた学校保健法5条などがあります。  このような規定に基づいて行われている特別支援教育の特徴としては、主に次の6点があげられます。つまり、従来の特殊学校である盲学校・ろう学校・養護学校を特別支援学校とし、地域の特別支援教育センターとして機能するように位置づけること、就学委員会においては、専門家の意見と同等に保護者の意見も聴取し、障害のある子ども各人に対する個別の教育支援計画を作成すること、特別支援学校、及び小中学校に特別支援教育コーディネーターを置くこと、従来の盲・ろう・養護学校教諭免許状を特別支援学校教諭免許状に一本化すること、小中学校において、学習障害と注意欠陥・多動性障害を新たに通級による指導の対象とすること、及び行政部局間の連携のための広域特別支援連携協議会を都道府県に設置すること、です。 それでは、このような特徴を持つ特別支援教育はインクルーシブ教育を受ける権利を保障していると言えるでしょうか。結論から申し上げますと、特別支援教育はインクルーシブ教育を保障しているとは言えません。その理由としては、次の3点をあげることができます。 まず、1点めとして、特別支援教育が分離教育を原則としている点です。特別支援教育は、確かに、障害のある子どもの教育に関する専門性を生かして、特別支援学校を通常学校の支援を行うセンターとして位置づけるとともに、障害のある子どもの多様なニーズに応じた支援などを実施することを目的としています。しかし、その実態は、分離教育を原則として、統合の可能性を探る統合教育の段階にあると言わざるを得ません。どういうことかと言いますと、現行の制度では、障害のある子どもは、地域の通常学校の学籍ではなくて特別支援学校の学籍か、通常学校内に設けられた特別支援学級の学籍となっており、その上で障害のない子どもの教育や、障害のない子どもとの交流・共同学習が行われています。つまり、分けて教育することを前提とした教育制度になっているということです。このままでは、障害のある子どもに対する理解を促進するどころか、障害に対する偏見を助長する危険性もあります。 また、原則インクルーシブ教育と申し上げていますが、特に、ろう・盲ろうの子どもの教育については注意が必要です。ろう・盲ろうの子どもたちが各個人にとって最も適切な言語とコミュニケーションの形態で、学業面の発達及び社会性の発達を最大限にする環境における教育を受けるためには、条約上、インクルーシブ教育の例外として、特別支援学校のような学校の形態が認められると言えるからです。また、現行の制度は、ろうの子どもに対しては、従来の口話中心のろう教育施策を行っているのが現状です。インクルーシブ教育を受ける権利を保障する締約国の義務としては、手話を言語と認めた上で、手話と日本語の両方での教育を行うような制度整備を行うことが日本には求められています。 2点目は、特別支援教育は、教育上の合理的配慮の提供を十分に行うことができていません。特別支援教育の実施において、自治体によっては、保護者が登下校や授業に付き添うことを求めることが一般化していますし、合理的配慮の提供にかかる費用の負担を保護者に求めている場合さえあります。合理的配慮の提供は、障害のある子どもや保護者に負担を求めるのではなく、合理的な配慮を行うことによって、障害のある人が障害のない人と平等の機会を享受することを保障するものです。国や自治体は、現在のような教育における合理的配慮の提供の欠如の実態を是正するために、障害差別禁止法の制定を含め、障害のある子どもの個々のニーズに応じた適切な調整や変更を行う制度整備を行うことが求められます。 3点目としては、現行の制度は障害のある子どもと保護者の選択権を保障していません。就学先の決定においては、障害のある子どもと保護者の意見を十分に聴くとしつつも、就学時診断に基づいて、障害の有無や程度で就学先が決定されており、その最終的な決定権は教育委員会の下にある就学委員会にあります。つまり、就学先の決定に関して、当事者である障害のある子どもや保護者の意見を前提としたものにはなっていないということです。 今後、日本において、障害のある子どものインクルーシブ教育を受ける権利を保障していくための方策としては、先ほど指摘した問題点を是正し、インクルーシブ教育を基本原理とした学校教育システムの構築していくことや、教育における差別の形態や内容を明確に規定した障害者差別禁止法を制定することが考えられます。 また、日本政府は、2007年9月に障害者権利条約を署名しましたが、現時点で批准はしておりません。日本政府は、条約の批准に向けて、障害のある子どもの教育を取り巻く現状と現行制度を充分に検討し、国内法整備を進めていくとともに、締約国となっている社会権規約と子どもの権利条約に基づいて、特別支援教育ではなく、インクルーシブ教育を原則とした教育制度を整備していくことが求められています。以上です。ありがとうございました。