■09 《能力の共同性》の視座から労働における「障害」者排除を問う 渡邊充佳(大阪市立大学) 赤阪はな 工藤みどり(兵庫県共同募金会) 1.問題の所在および研究目的 従来の社会科学においては、「重度障害」者は、はじめから「働けない」存在として位置づけられてきた。あるいは、オリバー(1990=2006)の指摘に基づくならば、このように解釈することもできよう。すなわち、資本主義労働市場の発展による「労働の個人化」の促進にともない、医学的診断に基づいて労働市場の外部へと排除される存在としてカテゴリー化された人間こそが「障害」者であると。 今日の障害者雇用および職業リハビリテーションにおいても、インペアメントが軽度で「ひとりでできること」が多いとされる「障害」者には一般就労の可能性が見出され、インペアメントが重度で生活全般において介助が必要とされる「障害」者の場合は、就労=福祉的就労という図式が暗黙の前提とされ、周縁化されていくという現実が再生産されている。 「障害をめぐる既存の知の問い直し」を標榜する障害学においても、「障害」者と労働の関係についての認識枠組を根底から疑ってみようという動きは弱いのではないか。例えば、ADA(障害を持つアメリカ人法)を例に挙げ、ある障害者が「できる」ようになったときに「できない」と見なされるようになる人がおり、新たに雇用における不利や困難を「不当な」ものとして経験する人があらわれる「不利益の更新」が生じる危険性を指摘する議論がある(星加, 2007)。しかしADAが、一般的な労働者=「健常」者という認識が自明の前提となっており、その上で「障害」者の個体能力の欠損を社会サービスで補償するという発想に基づいた法律であることを考えれば、そこで「不利益の更新」が生じるのは当然であって、労働におけるディスアビリティの解消を目指す取り組みがすべからく「不利益の更新」を招来するとまではいえないのではないか。労働における個人主義イデオロギーの虚構性を暴露し、解体することを抜きにして、労働におけるディスアビリティの解消が可能であるという発想自体に限界があると報告者は考える。 以上の問題意識をもとに、いささか大胆と思われる向きもあろうが、次の問いを提示したい。それは、働けない人間としての「障害」者は果たして存在するのかということである。本研究では、能力の個体還元主義にかわる視座から、「障害」者排除によって秩序づけられ、成立している既存の労働のあり方を根本から問い直す作業に取り組んでみたい。そのことが、「障害」者排除を前提としない労働のあり方を構想し、実現するための出発点になると考えるからである。 能力の個体還元主義にかわるものとして、報告者は、竹内(1993)によって提唱された《能力の共同性》という視座に注目する。《能力の共同性》は、能力を「諸個人の『自然性』と社会・文化との相互依存関係自体」としてとらえる。竹内は、「赤ん坊の微笑、車椅子での移動、身辺自立等々の諸能力自体に、共同性が現れている」とし、「《能力の共同性》がきちんと把握されれば、『弱者』排除の根拠に『能力』にかかわるいっさいをもち出せなくなる」(p.162)と述べる。それは、「相互関係自体であり共同的なものである能力を、『弱者』という個人に還元することは原理的に不可能となる」からであり、「たとえ『弱者』の『劣った能力』がもち出されても、それは《共同性としての能力》を忘却させ、個人還元主義的な能力把握を強要する能力主義にすぎないということが明確になる」ために、「能力主義や優生思想を乗り越える原理になる」(pp.162-163)という。 本研究では、共同報告者でもある赤阪はなさん(以下、はなさんと表記)とその関係者が取り組む就職活動の事例を《能力の共同性》の観点から検討する。検討結果より、具体的な取り組みを通じて労働における「障害」者排除を問い、労働のあり方そのものを変えていく可能性と課題について考える。 2.研究方法 本研究は、報告者とはなさん、およびはなさんの関係者(家族・友人・知人)との5年間にわたる親交の中で得た有形・無形の諸情報に基づく。報告者ははなさんと出会って以来、自身も友人・知人の一人として就職活動のプロセスに関与してきた。よって本研究は、はなさんとその関係者、関係者の一員としての報告者の協働による「アクション・リサーチ」(草郷 2007)の試みとして位置づけられる。 3.はなさんの就職活動の概要 1)プロフィール はなさんは、日本社会において「重度重複障害」ないしは「重症心身障害」と呼ばれるようなインペアメント(幼少期における感染症の後遺症)を抱えつつ、家族、友人・知人、支援者とともに生活してきた。 はなさんは、当時、大阪府内でも特に統合教育の盛んであった地域で育ち、義務教育の9年間、養護学校ではなく地元の小・中学校に入学し、普通学級で多くの時間を過ごした。はなさんが高校進学を目指した時には、小・中学校ではなさんに関わった教職員や同級生、その他大勢の友人・知人が協力して、はなさんとの出会い・関わりの中で感じたことを綴って文集を作成し、府教委・高校に提出した。 多くの人々の支援を受け、志望するB高校(定時制高校)に合格したはなさんは、高校の近所で一人暮らしを開始した。高校では、先輩や同級生とともにボランティアサークルを立ち上げるとともに、軽音楽部にも在籍して活動した。 高校在学中(2年生)から、卒業後の進路開拓のため就職活動をスタートさせた。高校卒業後は、就職活動と並行して複数の大学に聴講生として通い、引き続き、同年代の人々とのつながりを広げてきた。C大学で人権サークルの活動に参加する中で、同サークルのメンバー2名と共同生活する場を立ち上げることになり、はなさんはその共同住居の「世話人」という立場で同じ屋根の下で暮らすようになった(のちに入居者が1名増加)。「かかし荘」と名づけられたこの共同住居は、日常的に誰かが遊びに来てはそこで新たな出会いが生まれ、一緒に食卓を囲み、会話し、くつろいで過ごす「たまり場」ともなっている。本年6月には、はなさんの就職活動をテーマとした映画『はながゆく』が完成し、すでに全国各地の大学・団体等での上映会が予定されている。 なお、いつ頃から発行されているかは不明だが、はなさんの日常生活や就職活動の様子については、ヘルパーが中心となって『はなだより』という冊子を定期的に編集・発行しており、全国各地の友人・知人に情報発信を行っている。 2)就職活動の概要 はなさんは就職活動をスタートさせて以来、100社以上の企業面接を受けているが、現在まで不採用が続いている。門前払いの対応は日常茶飯事であり、一定話を聞いてもらえた場合でも、さまざまな理由をつけて断られることが大半であった。しかし、そうした厳しい状況下にあっても、正職採用ではない形ならばいくつもの職歴(実習活動を含む)を経験してきた。本研究では、その中でも精力的に取り組まれた4つの事例を取り上げる。 【事例1:B高校の授業「国際理解」の講師】 はなさん自身の母校であるB高校で、授業「国際理解」の講師として週2回勤務する。はなさんはB高校在学時に同授業を受講した。担当教員は、はなさんと一緒に授業を受けることで周囲の生徒の視点や価値観に大きな変化がみられたと評価し、卒業後、一緒に働いてほしいと声をかけられる。担当教員の後押しもあって、府教委の「学校支援人材バンク」制度を活用し、登録人材として派遣される形をとる。 授業では、はなさんとの出会い、関わりを通して、介護やボランティアに興味を持つ生徒が現われたり、人前で話すのが苦手だった生徒が、授業を通じて積極的に話ができるようになった。また、トランスジェンダーであることを周囲に隠してきた生徒が、授業の最後にカミングアウトするという出来事も起こった。 しかし、府教委の予算削減、その他の様々な事情により、2008年7月以降、講師を続けることが困難となった。 【事例2:特別養護老人ホームでの実習】 「知的障害」者の就労支援事業の一環として職業訓練機関で実施されるヘルパー養成講座の受講を申し込んだものの、はなさんは定員内不許可とされた。チャンスを与えられる前から就労支援・職業訓練の対象外とみなされたことへの異議申し立てのため、友人・知人に呼びかけ、ヘルパー養成講座を受講させてほしい旨の手紙を集め、職業訓練機関に提出した。 結果的には、ヘルパー養成講座の受講は許可されなかったものの、代替措置として、ヘルパー養成講座に関わっていたメンバーが施設長を務める特別養護老人ホームでの実習を体験させてもらえることになった。 しかし、職場内ではなさんをどのように位置づけるか、はなさんがどんな役割を担うのかという点での意見交換が不十分なまま、2009年3月以降、実習は中断している。 【事例3:民間保育園での保育補助】 参加した就職説明会で当該保育園の園長と出会い、園長がはなさんに興味を持ったことで、週1回の頻度で実習に行かせてもらえるようになる。 園児たちは、最初はなさんを見ると大泣きしていたが、回を重ねると次第に泣かなくなり、少し離れてじっと見ている子、少し近づいてみる子、気にならなくなる子、いつも近くに来る子、はなさんが「好き」と言う子など、様々な反応をするようになった。 保育士に対しても、はなさんの日常生活や就職活動への思いをヘルパーを通して伝えていく中で、はなさんの職場での位置づけや役割を真剣に考えてもらえるようになった。はなさんが日々の保育の中でできることのアイディアを出し合い、はなさんをスタッフとして位置づけた保育実践を展開するようになった。 こうして保育士がはなさんを「先生」「同僚」と意識するにつれ、園児も自然とはなさんを「はな先生」と呼ぶようになり、自分からはなさんに関わっていく園児が増えた。こうしたプロセスを共に経験する中で、保育士は、「はなさんはとても大事なことを子どもたちに教えている」「仕事をしている」と認めてくれるようになった。 しかし、保育園の経営状況、その他の様々な事情により、当面、保育園ではなさんを雇うことが難しいということになり、2010年4月以来、保育園に仕事としては通っていない。 【事例4:D大学「異文化コミュニケーション」ゲスト講師】 2007年に担当教員の研究室(当時は別の大学に在籍)にはなさんが訪問したことがきっかけで親交を持ち、以来、ゼミや授業に参加してきた。2009年3月からは、ゲスト講師として、毎回の授業後、給与を支給されるようになり、現在に至る。 授業では、年間を通して、はなさんとコミュニケーションをとるという課題を学生に与えて、その深まりを追求していく。 はなさんと目が合ったり、一緒に笑ったりといった経験をすることで、学生の姿勢が変化する。また、はなさんとの話し方やコミュニケーションのとり方も変化してくる。また、授業履修後も、はなさんに会いに「かかし荘」に遊びに来る学生がおり、友人関係に発展することもある。 担当教員も、当初、「はなさんは言語的コミュニケーションがとれない」と断定的に述べていたが、現在では「いつも考えていることがわかるわけではないが、一緒に過ごしているとわかると感じることがある」と述べるようになっている。 4.考察 《能力の共同性》の視座に照らせば、はなさんが働くということは、はなさんが周囲の他者との関係性の中に存在することで他者に与える影響と、その影響を受けた周囲の他者の側の価値観の変容という、両者の相互作用関係それ自体を指す。 はなさんが企業面接を受けたり、実習体験をすることで、既存の労働におけるマイノリティ排除(労働から排除されているのは、決して「障害」者だけではない)の構造が、きわめてわかりやすい形で顕在化する。また、実習等を通じてはなさんと時間と経験を共有することで、これまでの自分の生き方、働き方を見つめなおす人々が現れる。保育園では、最初はなさんを怖がって近づこうとしなかった子どもたちが、「はな先生」と一緒に遊ぶのを心待ちにするようになる。B高校の「国際理解」担当教員は、「究極の目標は、マイノリティの生徒をエンパワーすることでありそのよき理解者である隣人としてのマジョリティの生徒を育てることである」と述べているが、はなさんは、まさに「一緒に居る」ことを通じて、生徒たちのエンパワメントを促したといえる。 こうした周囲の人々の変容は、はなさんが就職を最初からあきらめ、「障害」者向けに設けられた場である意味守られ、脅かされることなく過ごしていたならば起こらなかったことである。既存の労働の現場に飛び込み、そこに居続けることで「障害」者排除を問い続けること、その営みを通じて新たな関係性が生まれ、現場からの労働変革の可能性が生まれることを、はなさんの事例は示している。 しかし一方で、課題も見えてくる。【事例A】にみるように、すべての実習活動において芳しい成果を挙げられたわけではないし、【事例@】や【事例B】のように、担当教員や同僚から高く評価される働きをしながらも、結局は就職につながらない現状がある。実際に職場に入ることができれば、周囲の人々を巻き込み、はなさんの果たしうる役割を一緒に考えていくこともできるが、そもそも面接の段階で「門前払い」をされたり、「障害」者の就労や社会参加を支援するために設けられたはずの場で「就労不可能」「作業困難」とみなされれば、はなさんは自らの可能性を発揮するためのスタートラインにすら立たせてもらえない。そしてそれこそが、はなさんが、そして多くの「重度障害」者が直面するディスアビリティ、「障害」者排除の現実なのである。 かつて石川(2000)は、「障害学とは、障害者がよりよく生きることに貢献する学問のことである。私はいまのところ障害学をこれ以上積極的に定義することができない」と述べた。では、労働におけるディスアビリティ解消という問題設定において、障害学が「障害者がよりよく生きることに貢献する」とは、具体的にはいかなることであるのか。ディスアビリティの解消、ディスエイブリズム(「障害」者差別主義)の解体は、具体的にいかなる実践を通じて可能であるのか。障害学は、これらの問いに対して、いわゆる「学問」としての理論的整合性を追求するのみならず、具体的な事実と実践に誠実に向きあい、応答する責務があると報告者は考える。 文献 星加良司, 2007,『障害とは何か――ディスアビリティの社会理論に向けて』生活書院. 石川 准, 2000,「ディスアビリティの政治学――障害者運動から障害学へ」『社会学評論』50 (4), pp.586-601. 草郷孝好, 2007,「アクション・リサーチ」小泉潤二・志水宏吉編『実践的研究のすすめ』有斐閣. 竹内章郎, 1993,『「弱者」の哲学』大月書店. Oliver, M., 1990, The Politics of Disablement: A Sociological Approach, Macmillan. (=2006, 三島亜紀子・山岸倫子・山森 亮・横須賀俊司訳『障害の政治――イギリス障害学の原点』明石書店.)