■03 ろう者とキチガイを秤にかける 桐原尚之  Lane,Harlanの著書、The Mask of Benevolence:Disabling the Deaf Communityは、2007年に長瀬修によって日本語訳が出された。本書は、ろう文化の聴者文化に対抗する思想についてまとめたものである。訳書の25頁に、「精神的適応や精神保健の問題すらかかえこむことになるかもしれない。」(Lane,Harlan, 1999:9・訳=長瀬修, 2007:25)という記述がある。  石川准は、当該箇所を次のようにまとめている。 ろう文化運動の論客H.レインは、人工内耳手術を受けた子どもは、訓練によっていくらか聴者の言葉を分別できるようになるかもしれないが、聴者のように自由に音声を聞き分け、聴者世界で聴者のように自由に振る舞えるようになるわけではないのみならず、ろう社会で自由に振る舞うために不可欠な「ろう者の手話」の学習と、ろう者社会の基本的な価値観の習得に失敗する危険が高いと指摘する。そして、子どもが音声と手話のいずれのコミュニケーション手段もまったく身につかずに成長するとしたら、それは言語能力に致命的なダメージを受けることになるかもしれないゆゆしきことであり、アイデンティティ問題はいうまでもなく、悪くすると精神的適応や精神保健の問題すら抱え込むことになる恐れがあると警告する(石川,2002:29-30)。 では、「悪くすると精神的適応や精神保健の問題すら抱え込むことになる恐れがある」とは、どういう意味なのか。精神保健の問題として、狂気をネガティブに捉えての発言ではないのか。  となれば、ろう者と狂気を天秤にかけ、どちらがより不幸であるかという問いかけがなされたということになる。或いは、ろう者は不幸ではないが、狂気は不幸であるといわれたことになる。聴者文化への対抗の際に、「キチガイになるから」が理由として持ちだされたことには、大きな疑問がある。音のない世界を生きることをどうしようもなく悲惨なことと捉える聴者文化の差別性を告発しつつも、一方では、悪くすると精神的適応や精神保健の問題すら抱え込むことになる恐れがあると、狂う人間がでる「恐れ」を問題視している。これは、差別を別の差別で簡保しているだけともいえる。  1980年代、日本身体障害者団体連合会を中心に、「馬鹿やキチガイと一緒にされてたまるか」という言葉が関係者の間で広まったという(花田, 2008:22)。当時、その場にいた花田春兆は、次のように振り返っている。  非難もだが、呆れたという感じが強かった。先方の会長が口にした言葉としてだ。いくら自分の組織を誇示する手段として勢いに任せたとしても、関係者としては暴言に近い問題発言に違いない。が、現在のような障害者観も確立していなければ、枠も広がっていなかった時代、「身障」という枠と矜り(?)を護ろうとする視野しか備えていなかったのだろうし、案外、一般人の間にはそれを当然として、別に非難すべきことでもないとする雰囲気も無くはなかったのだろう……(花田, 2008:22) H.レインについても、ろう文化/ろう者アイデンティティ誇示のため、ひとまずの「護り」として、精神保健の問題を抱える危険性について論じた可能性がいえる。が、そうだとしたら、上記のとおり、それは呆れられ、非難されるべきことである。 もうひとつ、ろう文化形成に至る経緯で、「重要な落とし穴」があるように思う。 過去、生まれつき耳が聞こえないろう者は、言葉を覚えないため、世間からは「ばか」と言われてきた。そこから手話という言語を獲得し、ろう者はろう者となったわけである。すると、ろう文化は、必然的に「言葉を覚えない=ばか」という差別に対抗することになったといえる。 その延長線上に、ろう者を禁治産者から除外させる運動があったように思う。「禁治産・準禁治産」は、現在、「成年後見・保佐・補助」となり、精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者、精神上の障害により事理を弁識する能力が著しく不十分である者、精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分である者を対象としている(民法7条, 11条, 15条)。が、それ以前は、ろう者も準禁治産者であり、「心神耗弱・浪費癖のため、家庭裁判所から禁治産者に準ずる旨の宣告を受けた者。法律の定める重要な財産上の行為についてのみ保佐人の同意を要する」とされていた。 1979年、ろうあ運動によってろう者は準禁治産から外れることになったが、同時に、「言葉を覚えない=ばか」ではないという成果と引き換えに、「ばか」と言われ続けている人々とろう者は、意識の中で遠い存在になってしまったのではないかと推察する。それは、精神的適応や精神保健の問題を抱える者、すなわち狂気が、ろう文化で生きることと比較して、どうしようもなくネガティブに見える一要因となったのではないか。  ただ、いままでの考察もろう者側からの主張であると仮定すれば成立するが、そうではない可能性も考えられる。当該箇所の後に「もし、得ることはごくわずかで、心理的・社会的危険性がそれほど高いのなら、なぜ食品医薬品局は人工内耳の市場流通を許可したのか」と続く。コンテクストからは、医学モデルの立場をとる食品医薬品局が、精神的適応や精神保健の問題の予防(すなわち、狂気の虐殺)よりも、ろう文化の占領植民地化を優先して選んだとも読み取れる。 そうした場合は、誤解であったと言うしかないが、それだとしても幾つかの課題が残る。 たとえば、親の選択肢に委ねざるを得ない場合、情報提供の一環として、精神的適応や精神保健の問題すら抱え込むことになる恐れがあると知れば、親はどのような裁定を下すのか。それは単に、ろう者とキチガイを秤にかけて、どちらが不幸であるかを第三者である親が勝手に決めることに他ならない。これは、ろう文化から投げかけられた課題というよりは、家族というパラダイムのなかの課題であるが、結局のところ、「精神的適応や精神保健の問題」という差別的考え方は残るのである。  しかし、秤は、医学の進歩(抹殺攻撃)によってどちらにでも傾く。 たとえば、とてもよく聞こえる人工内耳が完成すれば、たちまち「精神的適応や精神保健の問題」という戦略は消滅するであろう。なぜなら、「精神的適応や精神保健の問題」という戦略は、人工内耳が聴者の聞く音と比べて著しく聞き取りづらいということに支えられているからである。しかし、とてもよく聞こえる人工内耳が完成すれば、ろう文化は更なる危機的状況に追い込まれる。その防波堤として、「聞き取りづらさ」や「精神的適応や精神保健の問題」というものがある。しばらくは、人工内耳による占領・植民地化への対抗の隣で、精神的適応や精神保健の問題が戦略として語られることになろう。  ただ、どのような事情があろうとも、「精神的適応や精神保健の問題」などといわれるのは、「精神病」者からすれば、たいへん不愉快なことある。 《参考文献》 Lane,Harlan, 1999, "The MAsk of Benevolence:Disabling the Deaf Community"(訳=長瀬修, 2007,『善意の仮面――聴能主義とろう文化の闘い』現代書館 Immanuel Kant, 1798, "Anthropologie"(訳=「人間学」カント著作集第12巻, 岩波書店) 石川准,2002,「ディスアビリティの削減、インペアメントの変換」石川准/長瀬修『障害学の主張』明石書店 長瀬修, 1995,「世界ろう者会議に参加して――ろう者は言語・文化集団」『ノーマライゼーション 障害者の福祉』15-10(1995-10):74-76,15-11(1995-11):49-50 花田春兆, 2008,「1981年の黒船―JDと障害者運動の四半世紀」現代書館 吉田おさみ, 1980,「狂気からの反撃―精神医療解体運動への視点」新泉社