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学会シンポジウム2「障害学とソーシャルワーク」

松田 博幸(大阪府立大学)

障害学会第5回大会 於:熊本学園大学


◆要旨

1.私の立ち位置について

 

 今回、自分の立ち位置をまず明らかにしてから発言をすることになりました。しかし、正直なところ、自分の立ち位置を明確にするということは、かなり厄介なことではないかと思うのです。“自分は何者なのか”という問いに対する答えが複雑にならざるを得ないのと同じように、自分の立ち位置を表わす言葉は複雑にならざるを得ないのではと思います(宮地, 2007)。

 しかし、一方で、自分がかけている「メガネ」がどのようにして作られた、どのようなものなのかを振り返ることなく議論をすることは、混乱を招くように思います。ある立ち位置に立つということは、ある「メガネ」をかけて物事を見ることだと思います。

 ですから、まず、私がもっている「メガネ」がどのようにしてできたのかをお話ししたいと思います。

 

私は、大学を卒業したあと、福祉事務所の生活保護のケースワーカーの仕事をしていました。その後、精神科病院のソーシャルワーカーの非常勤の仕事を少ししたあと、精神保健福祉関連のある職場に就職しました。しかし、そこで(ある精神科医師の言葉では)職場不適応をおこし、2ヶ月弱、ほとんど仕事をしないうちにつぶれ、仕事を辞めてしまいました。その後、しばらく自宅にひきこもっていたが、そのときに、こう考えました(「負け惜しみ」)。

·           ソーシャルワーカーなどという職業は、強い人がなればよい。社会のことや人間の生活のことを語るのは、そういった強い人が語ればよい。自分のような弱い人間はそういったことを語る資格はない。

·           しかし、本当にそうなのだろうか。ソーシャルワークが人間の生活に価値を置くのであれば、立派な生活には程遠いが兎にも角にも生活をしている自分でも、社会のことや人間の生活のことを語ってもかまわないのではないだろうか。生活をしている(=生きている)ということが社会や生活について語る際の唯一の資格なのではないだろうか。

·           どうやって社会を変革するのかという視点だけでなく、ある人にとってその人の人生がどのような意味をもつのかという視点も取り入れてソーシャルワークを考えることはできないだろうか。

 古い「メガネ」が役に立たなくなり、新しい「メガネ」を作らざるを得なかったのだと思います。

 

 そして、大学院に進学し、ソーシャルワーク(ライフ・モデルetc.)について学び始めたのですが、どうも言葉がしっくりときませんでした。思考の手がかりにはなるけど、身体の奥のほうの感覚が揺さぶられない、そんな感じがしていました。そんな時、自分が精神科病院で仕事をしていた頃に出会ったお酒を止めたい人たちのセルフヘルプ・グループ(以下、SHG)のことを思い出し、自分がこだわりたいのはこれだと直感しました。

当時、ソーシャルワーク研究の領域に所属すると考えられている研究者のなかにSHGを研究している人たちがいて、その人たちの著作を通して、SHG研究の領域ができつつあることがわかったのですが、ソーシャルワーク研究という領域とはほとんど交流のないところでのことだということがわかってきました。また、日本社会福祉学会における報告においてSHGに関するテーマがほとんど見られないこともわかってきました。つまり、ソーシャルワークの研究において、SHGの研究は周辺的なものだと位置づけられることが多いことがわかってきました。私に対して発せられた、“SHGなど研究しても、ソーシャルワーカーはそのようなものを求めていない”というソーシャルワークのある研究者の言葉は、ソーシャルワークの研究における支配的な立場を表しているのではと思います。

 

 また、さまざまなSHGの人たちと出会い、ともにSHGの情報の提供等をおこなう団体(「大阪セルフヘルプ支援センター」)を立ち上げたのですが、毎月開かれている例会には実に多くのSHGの人たちが来て、自らの体験や活動を通して得た考えを語り、交流していました。私は、自分の「メガネ」にひびが入るのを感じました。

 そして、詳細は省きますが、SHGのメンバーになり、他のメンバーとの交わりを通して自らの抱える課題と向き合うという体験もするようになりました。そのような体験を通して、ソーシャルワークにおける援助関係とSHGの人たちのメンバー間の関係とはずいぶん質が違うものなのだと考えるようになりました。

 たとえば・・・

·           SHGの人たちは、個人的な体験を語り合ったり、弱い部分を出し合ったりすることを通して、関係を築こうとするが、ソーシャルワーカーが援助関係を築くときに、そのようなことをするだろうか(クライエントには求めるかもしれないが)。

·           SHGの人たちは、他のメンバーが語った体験を自分の個人的な体験と重ね合わせ、接点を見出すが、ソーシャルワーカーがそのようなことをするだろうか。

といったことを考えるようになりました。

 

 つまり、整理すると、私の「メガネ」は、

·           ソーシャルワーカーのコミュニティに籍を置いていたが、脱落。

·           その後、ソーシャルワーク研究者のコミュニティに籍は置きつつも、メインストリームから外れたSHG研究に関心を向ける。

·           そして、SHGの人たちとの交流に明け暮れる。

といった体験を通して作られてきたように思います。

 

 そして、一方で、このような私が、大学においてソーシャルワークを教育する立場に立つことになりました。ちなみに、今私がいる大学では「社会福祉方法論2A」「社会福祉方法論2B」というグループワークの講義を担当しているのですが(どちらも2単位)、前者でオーソドックスなグループワークの授業をおこない、後者ではSHGのメンバーによる語りを中心とする授業をおこなっています。前者を「表のソーシャルワーク」、後者を「裏(or影)のソーシャルワーク」と呼ぶこともあります。

 

 このような私がしてきたこと、そして、私に見えていることをお話ししたいと思います。

 

2.ソーシャルワーカーはSHGから何をどのようにして学ぶことができるのか

 

 私は、以上のような個人的な体験やSHGに関する文献を読むことを通して、援助専門職者の文化にとってSHGの文化というのは異文化だと考えるようになりました。そして、援助専門職者の文化の周縁部では、両者の文化がせめぎあっているのではと考えました。

そのように考えると、援助専門職者のコミュニティにいる人たちのなかにSHGの文化の影響を受ける人がいて、その人たちが援助に対する考えを変えたり、援助のやり方を変えているのではないかと思えてきました。そこで、SHGにふれる機会をもち、SHGから影響を受けたと思われるソーシャルワーカーにインタビューをし、SHGとどのような関わりをもってきたのか、SHGからどのような影響を受けたのかを聴かせていただくことにしました。今のところ、2名の方にお話をうかがえただけですが、インタビュー結果より以下のような仮説が浮かび上がってきました(松田, 2006, 2008)。

 

①     ワーカーをSHGの文化に導く「ガイド」が存在する。「ガイド」は基本的にSHGのメンバーであるが、SHGに関心をもつワーカーであることもある。

②     それらのワーカーはSHGの文化に触れることを通して、自らの「生の過程」を振り返るようになり、SHGから学んだことをもとに自分の課題に向き合おうとする。

③     それらのワーカーは、援助の場面において、自らの個人的な体験を語ることを通して被援助者との関係を築こうとする。

 

 もちろん、ここでいいたいのは、多くのワーカーがこのようなことを体験するということではなく、ワーカーのなかにこのような体験をする人たちがいるのではないだろうかということです。

 

 かつて、川田音誉(1977)は、ソーシャルワークの過程は、ワーカーが展開する「援助の過程」とクライエントが展開する「生の過程」とから成り、両者が絡み合って展開されていくとしました。その考えを援用すれば、ワーカーの側の「生の過程」に焦点をあて、それがワーカーの「援助の過程」にどのような影響を及ぼすのかを考える必要があるのではないかということになります。ワーカーの「生の過程」のありようとは無関係にその人の援助観が形成されるとは、私には思えないのです。

 

 ソーシャルワーカーの支配的な文化は、ソーシャルワーカーのコミュニティにいる人たちに対して、一定の価値観、知識、援助のやり方を期待します。しかし、ワーカーの立ち位置をずらして、それらを相対化して見えるようにしてくれるのが、SHGの文化ではないかと思います。SHGの文化がワーカーの「生の過程」に影響を及ぼし、変化を起こすことで、立ち位置の変化が生じるのではないかと考えます。

 

 ソーシャルワーカーやそれを目指す学生が、SHGの人たちの語りを通してSHGの活動を知った時によく発せられる一言で、“自分たちにいったい何ができるのだろう?”というのがあります。SHGは、ソーシャルワーカーが陥りがちな全能感からワーカーを脱出するのをサポートしてくれるのだと思います。先述のインタビューをおこなった際に一人のワーカーから、“身の丈を知るようになった”という言葉が語られましたが、まさしくこのことを表しているのだと思います。そして、その言葉はそのワーカーの「生の過程」に根差した気づきでもあると考えられます。

 

 ソーシャルワーカーは、SHGにおいて蓄積された価値観や知識にふれることで、コミュニティの支配的文化から逃れ続ける術や勇気を学ぶのではないだろうかと思います。言い換えれば、ひびの入った「メガネ」にしがみつかずに生きのびる術や勇気を学ぶのではないかと思います。

ただ、それによって結果的に職場を去るワーカーがでてくるかもしれません。(インタビューに協力してくれた2人のワーカーは2人とも職場[行政、病院]を去り、より自由度の高い組織[開業、NPO]において実践をおこなっています。)

 

3.ソーシャルワークにとってSHGはどのような意味をもつのか、そして、SHGにとってソーシャルワークはどのような意味をもつのか

 

 私は、先述したように、大学での1年間の授業の後半をSHGの授業にあてているわけですが、SHGの話をする前に、ソーシャルワークとSHGの活動との関係をとりあえず押さえておかないと、学生は混乱してしまいます。そこで、私は、前者を「表のソーシャルワーク」、後者を「裏(or影)のソーシャルワーク」と説明しています。そして、「表のソーシャルワーク」に携わる人は「裏のソーシャルワーク」から学ばないといけないのだと説明します。また、援助専門職者の教育課程において、自分たちの仕事のパートナーなりうるところのSHGに関するカリキュラムを取り入れないといけないということは、SHG研究者の間で以前から強調されているところです。

 

 しかし、注意を要するのは、学びの場、教育といった名目で「表のソーシャルワーク」が「裏のソーシャルワーク」を取り込んでしまうことのないようにしないといけないということだと思います。ワーカーが先に述べたような「メガネ」にひびが入るような体験をするためには、きちんと立ち止まって、きちんとSHGの人たちに向き合い続け、きちんと自分に何ができるのかと悩み続ける必要があるのではないかと思います。

 

 また、「裏のソーシャルワーク」にとって「表のソーシャルワーク」は資源であり、変革のターゲットであると思います。SHGの人たちが、自分たちの活動がしやすくなるように「表のソーシャルワーク」を利用し、変えることが焦点になってくるのだと思います。

 

 「エンパワメント」「ストレングス視点」「当事者主体」、そういった言葉が「表のソーシャルワーク」において広がっている状況においては、「表のソーシャルワーク」にとって「裏のソーシャルワーク」は非常に利用価値が大きいものです。SHGの活動やSHGの人たちが生み出した考えを取り込んでしまうことで“先進的なプログラム”を作り出すことも可能でしょう。しかし、そうではなく(=利用するのではなく)、異質なものを異質なものとして尊重しながらつきあっていくことが大切なのではなかと思われます。

 「表のソーシャルワーク」と「裏のソーシャルワーク」の間の政治的な力動を無視してはいけないと思います。

 

◆ 参考文献

川田誉音(1977)「ソーシャルワーク過程:<生の過程>と<援助の過程>」『四国学院大

学論集』 第39号 95-118.

松田博幸(2006)「セルフヘルプ・グループの文化が援助専門職者に与える影響:あるリカ

バリング・ソーシャル・ワーカーからのインタビューより」 『社会問題研究』

第55号第2号 65-101.

松田博幸(2008)「セルフヘルプ・グループがソーシャル・ワーカーのアイデンティティに

及ぼす影響:あるソーシャル・ワーカーからのインタビューより」 『社会問題研

究』 第57号第1号 1-33.

宮地尚子(2007)『環状島=トラウマの地政学』 みすず書房


UP:20081004


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