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学会シンポジウム1「スティグマの障害学-水俣病、ハンセン病と障害学」

コーディネーター 堀 正嗣(熊本学園大学)

障害学会第5回大会 於:熊本学園大学


◆趣旨

1 シンポジウムの趣旨 

 シンポジウムのテーマは「スティグマの障害学-水俣病・ハンセン病と障害学」としました。熊本発で、ハンセン病、水俣病と障害学の対話を試みることができればということで企画しました。全国からの参加者にとっても、熊本からの参加者にとっても、興味を持っていただけるシンポジウムになるのではないかと考えます。

全国からの参加者には、水俣病・ハンセン病の現在、そして水俣病・ハンセン病への差別や運動・研究の中で患者・元患者・障害者がどのようにとらえられ、何を求めてきたのか、そこにどのような課題や教訓があるのかを共有できる機会になればと考えています。熊本の参加者には、障害学との対話を通して、水俣病、ハンセン病が提起してきたものを新たな角度からとらえなおすきっかけになればと考えます。

 「スティグマの障害学」というテーマには、3つの意味を込めています。

①   障害学は「無力化の政治」「disabling society」を批判してきました。しかし「能力」abilityの問題と共に「外観」(stigma)による差別や排除が障害者運動の創成期から重大な問題とされてきました。脳性麻痺者への差別や水俣病、ハンセン病への差別は、このことと深くかかわっています。スティグマによる差別や排除を障害学ではどのようにとらえたらいいのかを考えてみたいと思います。

②  スティグマは優生思想とかかわっています。日本の障害者解放運動は優生思想との戦いが原点です。障害者を「あってはならない存在」とする社会のあり方や健常者の意識への告発として、そしてオルタナティブな思想や価値、社会のあり方の提起として運動は展開されてきました。一方水俣病を告発する運動の中で、胎児性水俣病患者が被害・悲劇の象徴としてセンセーショナルに描かれ、「生ける人形」と言われたこともありました。こうした出発点の違いから、水俣病運動と障害者運動は障害をどうとらえるのか、障害児が生まれることをどのように考えるかで立脚点が異なっています。他方ハンセン病患者・元患者は、優生思想によって強制隔離・断種を経験してきており、優生思想による極限の差別を受けてきたと言っても過言ではありません。優生思想との闘いは、ハンセン病回復者の人権回復にとっても要となるものだと私は思います。障害学にとって核心のテーマである障害そして優生思想をどのようにとらえたらいいのかを、水俣学・ハンセン病・障害学の3つの立場の対話を通して考えたいと思います。

③   障害学は英米を中心に研究の蓄積が行われてきています。そこでの研究の目指すものは、自由権・社会権の保障を中心としたものです。一方日本の障害者解放運動は当初から、障害者と健常者の関係を問い直し、社会のあり方を根底から問い直すことを求めてきました。そこでは人と人との近代的な関係のあり方を問い直し、共生社会をめざすことをテーマにしてきました。

水俣病・ハンセン病の運動も、人と自然・人と人との関係のありようを根源的に問い直し、共生社会を作り出すことを求めてきました。その意味では、共生は水俣学・ハンセン病・障害学の3つの立場に共通のテーマです。

障害をどうとらえるかは、自然をどうとらえるかに規定されています。欧米では自然を対象化してとらえてきたのに対して、日本では自然(じねん)として内在的にとらえてきました。内在的な原理としての自然が日本における共生の根拠とされてきたと私は思います。とりわけ水俣病について考えるとき、自然と人間のつながりの回復が人間と人間のもやいなおしの根拠です。そこでは文明のあり方、人間のあり方が鋭く問われているのです。

九州そして熊本という風土に根ざす運動の中で、自然・共生・共同体というテーマが浮き彫りにされてきました。そうした日本的な・そして地域からの障害学へのアプローチを試みたいと思います。


UP:20081004


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