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日本型社会モデルの生成過程と『歎異抄』―青い芝の会「テーゼ」の研究―

熊本学園大学大学院博士後期課程1年生(社会福祉学専攻)頼尊恒信

障害学会第5回大会 於:熊本学園大学


要旨

はじめに

1957年に結成され日本における戦後の障害者福祉運動の源流となった「青い芝の会」の『歎異抄』の受容について文献学的に考察を加え、同会の思想や活動の内容に日本型社会モデルの源流を見ていきたい。同会は、日本初の本格的な障害当事者団体であった。その「青い芝の会」の思想の形成に大きな影響を与えたのが、茨城県の閑居山願成寺の住職である大仏空(おさらぎ あきら)である。彼は1963年から、約6年間にわたって、自坊にて約30人の障害者とともに『歎異抄』の精神を基軸としたに共同生活を行った。その生活が、後に、「青い芝の会」の精神となり全国に広まり、社会の障害者差別を厳しく糾弾していく、1970年代の障害者当事者運動の中心的な精神につながっていった。

 

研究概要

本発表では、青い芝の会「テーゼ」の起草者である横田弘の著書『障害者殺しの思想』から、横田弘が「テーゼ」に込めた真意を読み取りたい。また、青い芝の会の思想の源泉である『歎異抄』をはじめとする仏教理解をひもときながら、青い芝の会の初期のメンバーが、どのように「医学モデル」から解放され、日本型社会モデルを形成していったのかを考察する。

 

考察

「我らは自らがCP者であることを自覚する」という第1テーゼでは、横田は、脳性麻痺者の存在を現代社会において、「本来、あってはならない存在」と凝視した。それは、「脳性麻痺者の自覚すること」、すなわち「健全者」に憧れを持ち、無意識的に「健全者幻想」に振り回されていく自分自身を見つめることが主眼となっている。この思想は、自分はあくまでも「善人」であろうとする、自己凝視の視座に欠いた自己像を見ていこうという、マハラバ理論の中でも、大仏が特に強調した思想そのものに端を発するのである。

次に「我らは強烈な自己主張を行う。」という第2テーゼについて、「自己」という文言に着目し、横田は「自己の存在、それは何ものにもかえ難い自己そのものなのである。肉体の差異、精神の在り方などは全く関わりのない自己の「いのち」そのものなのである(横田弘著『障害者殺しの思想』119頁)」と、述べている。このことは障害の有無にかかわらず、人間は「自己のいのちそのもの」を生きているという価値観を示している。またこの「自己のいのちそのものを生きている」という思想は「弥陀の本願には老少・善悪のひとをえらばれず。(『歎異抄』第一章)」という大仏が大切にした『歎異抄』第一章の摂取不捨の生命観そのものなのである。しかしながら、このような思想は、当時としては非常に先進的な考え方であったと言わざるを得ない。当時の「青い芝の会」以外の障害者運動のほとんどは、発達保障論に代表される「障害の軽減・克服による差別からの脱出」や、それによる「健常者」との同化を主にしていた。そのような考え方に対し、「青い芝の会」のテーゼでは、「発達の有無」云々と言う前に、「人間として生まれている」という歴史的事実そのものに「いのちの平等性」を見いだしたのである。そして、そのうえで、「自己の肉体」をも完全に否定していくような、自損損他の姿勢を批判している。そして、そのような姿勢を批判することによって、「無条件の平等性」を主張しようとしたのである。

つまり、青い芝の会の「テーゼ」は、健常者の身体の姿を優生と定め、脳性麻痺者の身体を劣性として、脳性麻痺者を「治療の対象者」としか見ていかない「医学モデル」の考え方に対して、障害の有無を越えた「いのちの平等性」を見いだしていったのである。このような「無条件の平等性」に依拠して、障害者の苦悩や生きにくさの根源を社会の問題として告発しようとした視座を「日本型社会モデル」と言うことが出来るのではなかろうか。

 

おわりに

青い芝の会「テーゼ」は、特に第2テーゼの考察に見られるように、青い芝の会の運動の核ともなった「無条件の平等性」を見いだした日本型社会モデルは欧米の障害者運動を源泉とする社会モデルとその根源を異にする。青い芝の会の場合、その理論構築の根源には『歎異抄』の摂取不捨という仏教的生命観があったということができよう。つまり、横田らは『歎異抄』の摂取不捨の生命観を学ぶことにより、如来の他力の働きによって自らの「生」の意味的転換がなされ、それが脳性麻痺者の存在の肯定という「生」価値的転換を促し、日本型社会モデルの根源に行き着いた。それゆえ青い芝の会「テーゼ」を『歎異抄』の解釈から理解することによって、日本型社会モデルの特質を明らかにすることができると考える。(1849字)


UP:20081004
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