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公害事件水俣病における福祉的救済について‐障害学の手前で‐

野沢淳史(明治大学大学院)
障害学会第5回大会 於:熊本学園大学

発表要旨

 2004年10月、チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決において原告側が勝訴して以降、水俣病問題をめぐる事態が慌しい。判決後、水俣病認定申請者は増大し、申請者のうち未処分者は熊本県と鹿児島県を合わせてすでに6,000人を超えている。だが、認定審査会は判決以降ほぼ機能停止状態に陥っている。こうした事態を受けて、原告数が1,000人を超す新たな国家損害賠償訴訟をはじめとして、現在水俣病に係る6つの訴訟が展開されている。国は、1995年の政治決着と同様の解決策を画策しているが、被害者団体のみならず、原因企業チッソからも正式に拒否を表明され暗礁に乗り上げている。公式確認から半世紀を経て事態は複雑化し、混迷を極めている。水俣病問題はこれからだ。

 現在新たな被害者が現れ出てきているが、しかし、水俣病被害の実相はそれよりもさらに広範にわたる。水俣病がチッソ水俣工場の排水中に含まれる有機水銀によって汚染された魚介類を食べることで起きた中毒事件である以上、その汚染は不知火海全域であり、当時の人口状況からすれば被汚染者は20万人ともいわれる。これら被汚染者の多くは認定申請することもなく、裁判という舞台にも現れていない。こうした状況は、不知火海一帯の健康被害調査がいまだ行なわれていないことや本人申請主義という認定制度の原則が障壁となり、被害者の顕在化を妨げているのである。

 だが仮に認定制度の障壁が取り払われたとして、いくつかの指標、例えば医師の診断書や居住歴、喫食歴、毛髪水銀値などによって第三者が客観的に判断する水俣病被害と、体全体で被害を受けてきた被害者が生活を営む中で抱える水俣病被害の指し示す事柄には差異がある。また裁判という舞台においては、例えば損害賠償請求訴訟において、被害者が被る水俣病被害は、法技術制度を発動して補償要求をするに足りるとの合意が得られる、他の被害者も同様に有する人身損傷に集約される過程で、多くの被害が切り落とされていく。

 痛みや痺れ、視野狭窄、視力や聴力の低下、日常生活動作の障害といった感覚性、運動性の障害が主である水俣病被害は、それが日々の生活に及ぼす影響は被害者一人ひとり異なる。つまり個々人が抱える困難は一様ではありえない。水俣病被害の全てが第三者に対して証明可能な性質のものではないのである。

 被害者の高齢化、新たな被害者の顕在化という局面を迎えた水俣病に、今後どのような症状が現れ、それにより被害者が日常生活の中でどのような困難を抱え、いかなる支援を必要とするのか。水俣病はこれから何が起こるかわからない。それゆえに被害者個々人と第三者との間にある水俣病被害に対する認識の差異に注意深く意識を向け、どのようなニーズが新たに生まれつつあるのか耳を傾けることが求められる。

 そうした被害の現実を踏まえた上で、これからの水俣病被害者救済制度として認定補償制度という既存の救済枠組から構造的に漏れる被害を念頭に置いた救済の仕組みを構築していく必要がある。それを、例えば水俣病を生きる当事者の生き方や特性に合わせた支援といったとき、水俣病が障害学という学問領域における実践や研究の主題と共通点を見つけ出すことが可能となり、そしてそこから学ぶことは少なくない。

 だがしかし、ここで忘れてはならないことは、福祉的救済という切り口から水俣病問題の含意を伝えることは可能か、という問いを持つことである。

 水俣病は「公害の原点」ともいわれる半世紀以上の歴史を有する公害事件であり、原因企業チッソに加え、国と熊本県の加害責任がすでに確定している。つまり水俣病においては加害者と被害者が存在するという根本的な構図があるのだが、福祉を今後の課題としてあげたとき、それが例えばケアする側とケアされる側の関係性や援助技術というテーマになったとき、それは公害事件としての水俣病が「消える」瞬間でもあるのである。医療保障を含め福祉的救済が加害責任の隠れ蓑にされたこと、また補償回避のための被害者切捨ての手段に用いられたこと、これは歴史的事実である。

 水俣病は公害事件によって生み出された社会病であるという歴史的認識に立脚し、いかなる過程を経て、結果として福祉的救済の必要性を主張するのか。水俣病では常にそのことが問われる。


UP:20081004
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